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エメラルドの鎮魂歌
第2章 その薔薇の秘密は誰も知らない
「八雲、先日の夜会で澁澤男爵夫人に貴方のことを散々尋ねられたわ。
…自分の屋敷の執事として迎えたいともね。給金はうちの倍は払うと。
…成り上がり貴族の言いそうな台詞だわ。
断りましたけれど…一体貴方、どんな手を使ったの?」

朝食の席で珈琲のサーブを終えた八雲に薫子が柳眉を跳ね上げ尋ねた。

「恐れながら大奥様、私は澁澤男爵夫人が貧血を起こされたと仰られたので気付け薬を差し上げただけでございます」
八雲はその彫像のような貌を毛筋ほども動かさずに答えた。
…本当はコルセットも緩めてやったのだが、ここで話す内容ではない。

「どうだか…。貴方に熱を上げる夫人や令嬢は数知れずだから今更気にも留めないけれど、これというのも貴方が三十半ばになるのに独身だからですよ。
さっさと身を固めてしまえば、余計な波風は立たないというもの。誰でも良いから適当な娘と結婚しておしまいなさい」

乱暴な理論に征一郎は気を遣いながらも取りなす。
「お母様、執事は独身が望ましいですよ。様々な係累は要らぬ厄介を背負い込むもとですからね」
千賀子は目立たぬように気配を消しながら、ナプキンを畳んでいる。
「普通はそう…。八雲の叔父もそうでしたからね。
…けれど八雲は違うわ。この者が独身だと我が家の夜会でいつ不埒な事が起こらないか気が気ではないのですよ。
…冷たく取り澄ました貌をしているけれど…何を考えているのやら…」
朝食室に飾られたレンブラントの絵を背景に女王のように君臨する薫子は、その鋭い瞳を眇めながら八雲を見た。

「八雲は独身がいいよ。八雲に色目を使う女は碌なのがいないし。
…お祖母様のお気に入りの執事が安っぽい女と結婚してしまっていいの?」
薫子の正面の席に座り、フォークの先でキドニービーンズを突いていた和葉が澄まして口を挟んだ。

薫子は一瞬険しい貌をしたが、穏やかに窘める。
和葉を目の中に入れても痛くないほどに可愛がっているからだ。
「色目だなんて、下品な言葉を使うものではありませんよ。
…全く…千賀子さんにもう少しお品があればねえ…。
和葉に少し軽々しいところがあるのは、千賀子さんに品格が足りないからですよ。大切な和葉さんの教育にもよろしくないわ」

千賀子はびくりと細い肩を震わせ、小さな声で詫びた。
「…申し訳ありません。お義母様…」
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