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貴方だけに溺れたい
第3章  屈辱と悪夢

「森川さん……」

敢えてその名前を口にしたのは、じわじわと膨らみ続けている恐怖感を紛わせたい為でもあった。
出来るものなら、森川の事を考えていたい。
昼間の出来事を思い出し、あの時の幸福感を思い出し、そして彼のあの仕草の意味を考えていたかった……。

食器を洗い一通りの家事を終わらせると、葵は動きを止める事無く寝室に向かい、裁縫道具一式を入れた藤のバスケットを持ってリビングへと戻った。

不安を忘れるほど没頭出来る事など無いが、何もせずにいれば最悪な想像に取り憑かれてしまう事は分かっている。

丁寧に拭いたテーブルに滑り止めの為の生成りの布を敷き、その上にロングのフレアスカート用に作図した型紙と、地直しを済ませたローズブラウンのシフォン生地と同系色のキュプラを並べた。

けれど、こんなに震える手で何が出来るというのだろう……。

小刻みに震えながら裁縫箱を開けようとするその指先を見ながら、葵は込み上げる悔しさを噛み締めた。

情けない。
あんな奴なんかに怯えている自分が、とてつもなく惨めに思える。

こんなんじゃ無かった。
以前の自分はこんなに弱い女じゃ無かったはずなのに、いつから言いたい事も、言うべき事さえも言えなくなってしまったんだろう。

拒否する事も、歯向かう勇気も、裁ち切る度胸も、それらがどんな物かも、どうやって作り出す物かも忘れてしまった……。

「……助けて……」

誰かに対して言った言葉では無かったが、葵は無意識にも、震える左手を強く握り締めていた。

しかし、いつの間にか恐怖に支配され、ネガティヴな思考に陥っていた葵とは反対に、扉の外の廊下の先では、複数の男達の足音と笑い声がうるさいほどに響き渡っていたのだ。


***

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