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真夏の悪夢
第2章 慶び
昭和23年(1948年)8月、ヘレン・ケラーが二度目の来日を果たした頃、東京都江戸川区K町の浅野家に一人に女の子が生まれ、「小枝子」と名付けられた。

母の智美(ともみ)は24歳、父の勇(いさむ)は27歳。この時代にしては珍しい大学出のインテリで、家業の竹細工工場を継ぐのが嫌で、会社勤めをしている。祖父の健太郎は竹細工職人。酒は全く飲まず、甘いものが大好きな52歳。元大日本帝国陸軍伍長だから曲ったことが大嫌い。近所では「頑固おやじ」と言われている。一方、祖母の華(はな)は物静かな女性で、「あの頑固おやじにどうして?」と親戚からも不思議がられていた。

浅野家は戦争では次男を失い、空襲で家も焼かれた。祖父母は久し振りの明るい出来事に喜び、闇市で手に入れた小豆で赤飯を炊いて祝った。

「小枝子はおじいちゃんが好きか?」
「うん、大好き」
「ほほほ、そうか、そうか」

祖父は初孫の小枝子をことのほか可愛がり、いつも膝に乗せていた。

3年後の昭和26年(1951年)、妹が生まれ、「朋子」と名付けられた。

当時の江戸川区K町は国鉄(現:JR)K駅の周りにこそ、家が立ちこめているものの、少し離れれば畑や田んぼばかりが目に付く、平和で静かな町だった。だが、その外れ、ある街道沿いには場違いな世界があった。

塀に囲まれた大きな敷地に建ち並ぶアパートのような建物、朝は気だるい空気が漂い、人気がない。しかし、夜になると、ライトが灯り、女たちの姿に誘われ、男たちはそこに吸い寄せられていく。俗にいう赤線だった。

小枝子は幼い頃から「あそこには近寄ってはダメ」と母に厳しく言われていた。
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