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生きること、思うこと
第245章 容姿

なので、より人間に近いせいか装飾品を沢山身に着けているのです。
ですが、如来はお釈迦様が悟りを得たお姿を表しているので、装飾品などは身に着けておらず、蓮の台座に静かに座りとてもシンプルな姿をされています。
装飾品とは私たちの心の中にある“あらゆる執着”であるように思うのです。
菩薩から執着を取り去ると、如来になるようです。
お釈迦様はこの執着を捨て、悟りを得て如来になりました。
私は、まだ悟りを求める菩薩なのだと感じるのです。
まだ、とても煌びやかな装飾品に気持ちが向いてしまうのです。
でも、お釈迦様はこう言われました。
「執着を捨てて、ラクになったらどうですか…」
もう、私の年齢になったらなるだけ執着を捨てる方が良いのです。
煌びやかなブランド品や、装飾品、イケメン男性など…(笑)
外見に囚われず、真の姿を見極めることが大切だと思うのです。
最近では、本当に見た目重視はしなくなりました。
嬉しく感じる人、楽しく感じる人、幸せを感じている人。
そんな人に心惹かれてゆくようになった気がします。
私ももっと心の断捨離をして、執着を捨てて、ラクに生きたいなぁ。
と、思うのです。
最近、新しく彼氏は欲しいとは思っていません。
ただ、とても良い男性のお友達を求めています。
恋愛と言うある種の執着は感じていません。
今は、嬉しく感じて、楽しく、幸せを感じさせてくれる様なお友達が欲しと思っています。
その感情って、恋愛感情じゃない。
なんて、言われそうですが、まだ亡くなった彼氏さんの事が忘れられないのです。
これは、亡くなった彼氏さんに対する執着なのかな。
などと、ちょっと思ってしまいますが。
いつか、この執着もなくなるのかな…と、思う今日この頃なのです。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございます。

