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如月茜(きさらぎ あかね)
第1章 第1話 夕暮れの来訪者と迷える者たち
冷たい雨が、昭和風の古びた木造長屋の屋根を激しく打ち付けていた。
やがて、しとしとと降っていた雨脚が弱まり、雲の切れ間から夕暮れの淡い光が差し込みはじめる。
すりガラス玄関の向こうで荒々しく響いていた借金取り達の怒号が、嘘のようにピタリと止んだのは、恵麻が小さな居間で恐怖に震えながら息を潜めていたその時だった。
コツ、コツと、静寂を切り裂くように足音が響く。
恵麻がかすかに身を固くして木製のすりガラス戸を見つめると、そこに映る影は落ち着いた佇まいをしていた。

ガラリ、と重い音がして引き戸玄関が開く。
そこに立っていたのは、煤けたボロ借家にはあまりにも似つかわしくない、仕立ての良いスーツを纏った青年だった。
整った黒髪を濡らした彼は、手に持っていた傘を静かに閉じると、室内に持ち込むことなく、しっかりと玄関の端に丁寧に置いた。

すると青年は、開け放たれた玄関の上がり框の前で、穏やかに頭を下げた。
「突然の訪問、お許しください。私は、如月茜と申します。……実は、ご主人の裕二さんに頼まれまして、あなた宛ての手紙を持ってきたんです」
その言葉に、恵麻はハっと息を呑んだ。
「主人の……手紙ですか? あの、主人は今、どこに……っ。無事なんですか……?」

すがるような、切迫した恵麻の問いかけに、茜は少しだけ目を伏せ、静かに首を横に振った。
「申し訳ありません。彼の詳しい居場所や……現在の安否については、私も……。彼からこの手紙を預かって以来、裕二さん本人とは直接連絡が取れなくなっているんです」
直接連絡が取れないという言葉に、恵麻の胸の奥が冷たく凍りつく。

傍らに立つ中学1年生の美咲も、部屋の奥から心配そうな表情でそのやり取りを見守っていた。

「お邪魔します」
茜はそれから静かに靴を脱ぎ、磨り減った板張りの廊下へと足を踏み入れた。

家は古く、あちこちが傷んでいながらも、日々の手入れが行き届いているのだろう。室内は驚くほど綺麗に片付けられており、散らかった様子は微塵もない。

その音にはっと我に返ったように、恵麻は部屋の隅で、つけっぱなしになっていた小さなテレビの電源を、慌ててリモコンで消した。

画面の光が消え、室内には窓を打く雨音だけが戻ってくる。




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