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あの店に彼がいるそうです
第8章 一体なんの冗談だ
「僕は暇じゃないから」
 去ろうとした腕を掴まれる。
 にっこりと笑う男の笑みが、なぜか影を帯びて見えた。
「キミがここに来てから三十五分。携帯を取り出すでもなく人を探す風もなく、喫茶店に用があるとも待ち合わせとも思えない。大人に嘘は吐かない方がいいよ、家出少年」
 眼の下の筋肉に力が入る。
 眉間に違和感を感じると思えば、ガラスに映る自分は随分と不快な顔をしていた。
「そんなに睨みつけなくてもいいだろ」
「……鬱陶しい」
 バッと腕を払う。
 手刀を立てて、下に。
 男が一瞬目を見開いて、笑い出した。
「喧嘩慣れしてるよね、キミ」
「だったらナニ」
 身長差は二十センチほどだろうか。
 男の手も、脚もなにもかも自分よりは強力。
 だからといって不安に思うことは何もなかった。
 喧嘩に負けたことがない僕は、どの手でこられても迎え撃つ体勢でいた。
「警戒むきだしだな。あー、失敗。もう少し爽やかな兄を演じればよかったかい?」
 意味がわからない羅列。
 一気に興味が失せて、距離をとる。
 駅までの道は覚えている。
「ああ、そっか。キミは帰らなきゃいけないのか。家族のいない場所に」
 足が止まる。
 さっきと一緒だ。
 今、なんて。
 明るい街並みの中で、死神のように真っ黒な男が笑う。
「本当にわかちあう家族もいなくてかわいそうに」
「なんで知ってんの」
 今までとは違う警戒。
 肩に力がこもる。
「キミみたいな少年は隠せないんだよ。孤独を」
 蟀谷に電気が走る。
 なんだろ。
 怒り?
 呆れ?
 ざわざわする。
 男が近づいてくる。
 避ける間もなく腕を掴まれた。
 締め上げるように。
「っ……」
 強い。
 振りほどけない。
 男が身を屈め、耳元で囁く。
「ソコは愉しい?」
 ぱっと施設が浮かぶ。
 同年代の子供たち。
 同じ服を着た大人たち。
 止まった空気。
 いつもの花壇。
 男がにいっと唇をつり上げる。
 ゴキン。
「え?」
 腕が曲がっている。
 麻痺した頭に痛みが押し寄せる。
 それでも男は腕を離さない。
「あ……っく」
 皮膚の下で骨が肉を刺す痛み。
 指が震えている。
「まだ痛みは感じるんだ。なら使えそうだ」
 低くなった声。
 初めて、感じた。
 恐怖を。
 逃げなきゃ。
 地面を擦るようにあとずさりする。
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