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あの店に彼がいるそうです
第8章 一体なんの冗談だ
「姉さん?」
「すぐそこに整骨院があるから。大丈夫よ、本当に近いから」
 誰に言い聞かせてるんだろう。
 心臓の音が響く。
 バクバクと。
 貴方はどれだけ走って探したんだろう。
 横顔を見つめる。
 汗に濡れて、涙の跡もそのままに。
 叫びながら雑踏の中で走り回る姿が浮かぶ。
 少し痛んだ胸に湧いたのは、なんていう感情なのか。
 あとで聞いてみようと思った。

 病院で手当てを受け、包帯を巻いて待合室に並んで座る。
 固定された腕が痺れてくる。
「園長に電話したから。もうすぐ迎えが来るわ」
 震えた声。
 柔らかいソファの感触も忘れて背筋を伸ばして。
「凄くね……凄く怒られちゃった」
 えへへ、と笑いを付け加えて。
 痛々しい笑いを。
「初めての雅と二人での外出だったのにね。見失って怪我までさせちゃうなんて……駄目な姉さんだね」
 顔にかかった髪を払わないのは、弱みを隠せない顔を見せたくないからなのか。
「もしかしたらね……辞めさせられちゃうかもしれないって」
 鼓膜に引っかかった文字。
「なんで」
 長い沈黙を破った初めの一言に、麻那は堪え切れず嗚咽した。
「だって……雅のこと守ってあげられなかったんだもの。本当は……映画見て、ちょっとご飯でも食べて……楽しい一日になるはずだったのにね。さっき園長に責任をどうとるのって言われてね……私働き始めたばかりだし、代わりはいくらでもいるからって。こんなこと楽園が始まって以来初めての失態だって」
 ハンカチを口に当てて話す声は、耳より心臓に響いた。
「辞めるの?」
「……わからない」
「僕の所為で?」
 責める意は全くない。
 けれど、麻那は世界の終わりを目撃したような絶望を眼に浮かべた。
「そんなことないわ。私の責任よ」
「それでも今日のことがなければ、姉さんは辞めなくていいんだよね」
「雅」
 携帯が鳴る。
 迎えが来たみたいだ。
 麻那は言いかけた口を閉じて、立ち上がった。
 玄関まで、無言。
 そのまま目も合わせずに車に乗った。
「心配しましたよ、弦宮さん」
「申し訳ありませんでした」
「園長が話があるそうなので、着いたら一階の事務室に行ってくださいね」
 よく幼児クラスで見かける女性。
 三十歳くらい。
 麻那にとっては頼れる先輩。
 その口調は、今までより一番冷たかった。
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