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あの店に彼がいるそうです
第8章 一体なんの冗談だ
 たった一人の麻那という存在が、こんなにも類沢の中で大きいのは、彼だけじゃなくて街を揺り動かすことになるんじゃないかって。
 会いたい。
 その願いは単純で理屈的。
 でも、叶えられてはいけない気がする。
 俺はそっと目を閉じた。
 幼い類沢を抱きしめる女性が脳裏にはっきり現れる。
 明るい陽射しの仲、秘密の花壇で。
 太陽の光を浴びて微笑んで語り合う。
 ふと、彼が離れた時。
 俺の方を見た彼女は、こう言った気がした。

 その場所は、貴方にふさわしいのかしら。

 急いで眼を開ける。
「瑞希、大丈夫?」
 俺は汗をかいて横たわっていた。
 カーテンの隙間から陽光が差し込み、いつの間にか起き上った類沢が心配そうに髪を掻き分けてくれる。
「俺……寝てました?」
 夢という感覚とは違った。
 もっと、こう、現実味があった。
「二時間くらいね。悪夢でも見てるんじゃないかって苦しい顔してたよ」
 彼女の声が、今も耳にこびりついている。
「あ……うなされてました? 迷惑かけてすみません」
 サイドテーブルに置いてあった冷水の入ったグラスを渡される。
 ひんやりとした感触に意識が鮮明になってくる。
 それから、彼女の姿が薄れる。
 ゆっくりと水を飲み下し、深呼吸をした。
「寝る前にあんな話したからかな」
「ち、違いますっ! 俺が勝手に考えすぎたから」
 そうだ。
 なんでだってくらいに。
 ぐるぐる。
 俺がここにいる理由を考えてた時以上に。
 混乱と、眩暈。
 パンッ。
 目の前で合わさった掌に瞬きをする。
「考えるなって言ったよね」
 手を叩いたらしい。
 類沢は真剣な眼をしていた。
「はい……すみません」
 それでも曇った顔のままの俺を見下ろす。
 ため息一つ。
「店が開くまでまだあるから、ドライブでもしよう」
「えっ」
 尋ね返す前に、もうリビングに背中は消えて行った。
「気……遣わせてどうする。俺」
 口に手を当てて、ボフンとベッドにうずくまる。
 でも、起きなきゃ。
 またうだうだ考えてしまう。
 俺は五時を示す時計を眺めて立ち上がった。
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