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弓月 舞さんの日記
どうして祈るのか…
[作成日] 2014-08-06 13:21:01
今日は8月6日ですね。
わたしは今日が大学の期末試験の最終日だったのですが、登校をぎりぎりまで遅らせて
8時15分に自分のアパートでひとり黙祷しました。
わたしは毎年、この黙祷はできるだけ誰もいないところでしようと決めています。何故か?それは…周りの人が黙祷をしないからです。
黙祷せず会話を続ける人を見ると、わたしは心のどこかで…その人を軽蔑してしまうからです
──たとえそれが友人であっても。
友人を嫌いになりたくないので、わたしは8時15分を人とすごすのを避けています。
自分が黙祷にこだわりすぎなのだとわかっているけれど、周りの《無関心》がとても悲しいんです。
黙祷をしたからって、何も解決には向きません。ある人はわたしを捕まえて偽善者だと言います。
でも思うんです
優しさの反対は無関心
暴力は、無知から生まれると。
想像力がないから……自分も含めわたしたちは平気で相手を傷つけてしまう。
だから、こと戦争に関する無知は、恥ずかしいことなのだと感じてほしい…
朝のニュースを見ながら悔しくて涙が出そうでした。
もし今、8月6日という日を何も考えずに過ごしている方がいるなら…少しだけ、そんな自分を見つめ直してほしい
8月9日に、今度こそ黙祷をしてくれたら嬉しいな
──と、
そう思って
ここで呟きました(*゜ー゜)ノ
生意気な日記を読んでくださった方
ありがとうございます。
あと、期末が終わったので──そろそろ新作の小説を進めていきたいなと予定してます(*´∪`*)
日記へのコメント
瑠衣さん、こんばんは(´・∀・`)
原爆の落ちた日時を言えない人はたくさんいます。これよく、最近の若者はー なんてニュースで言われますが、関係ないです。大人だって知りません。
震災の記憶はわたしには鮮明すぎて、瑠衣さんの話を聞いて衝撃を受けています。結局、無知の原因は、時間の経過だけではないんですね。
平和にボケてるわたしたちの、そんな風潮が忘れさせるのかも。
ども。
共感することも多かったので失礼します。
今年の3月11日、あの時間を私はあるコンサートホールで過ごしていました
劇中だったこともあり、誰も目は閉じませんでした
始まる前に隣の方に「楽しみにしていましたが、時間が重なってしまっているのが唯一残念ですね」というと「なにが?」と聞き返され「黙祷です」というと「あ、今日だったね」と
たった三年ですらこの無関心
8/6、8/9、8/15は既に平日に?
忘災にしない
新聞にでかでかと見出し
忘れることほど怖いことはないと
どんなに忙しいときも暇をもて余しているときもその日の意味を考えることそのものに意味はあるんでしょう
共感することも多かったので失礼します。
今年の3月11日、あの時間を私はあるコンサートホールで過ごしていました
劇中だったこともあり、誰も目は閉じませんでした
始まる前に隣の方に「楽しみにしていましたが、時間が重なってしまっているのが唯一残念ですね」というと「なにが?」と聞き返され「黙祷です」というと「あ、今日だったね」と
たった三年ですらこの無関心
8/6、8/9、8/15は既に平日に?
忘災にしない
新聞にでかでかと見出し
忘れることほど怖いことはないと
どんなに忙しいときも暇をもて余しているときもその日の意味を考えることそのものに意味はあるんでしょう