「この星はやめよう。違う星を探査しよう」
クーパーはこの惑星を探査することに躊躇していた。
「あなたは、ただ早く地球に帰りたいだけだ」
ほかの隊員にそう咎められたが反論できなかった。
その星はブラックホールの周りを回っており、超重力の影響で、その星での一時間は地球での七年に相当すると予測されたのだ。
星を探査する間に、どのくらい地球で時間が経つか、見当もつかない。
地球を離れ、既に二年が経過している。
彼は異常気象に見舞われている地球に、十歳の娘を残してきていたのだ。
彼女に「必ず帰る」と約束しながらも、「いつ?」という問いに答えられなかった……。
そして「行かないで」と泣きすがる彼女を振り切ったのだ。
その後悔が胸を離れない。
しかし人類を救うには、行くしかなかった。
この星から、前に移住地探査に出かけた隊員の信号が発信されているからだ。
母船に隊員一人を残し、探査機で地上に下り立つクーパーたち。
そこで思いもよらぬ危機と遭遇する。
彼は娘との約束を果たすことが出来るのだろか?
この映画から特筆したいキーワードは「ウラシマ効果」だ。
「浦島太郎」の話で、竜宮城で何日か過ごし、帰ってきてみると数十年経っていたいう現象から由来している。
相対性理論では「超重力の中では時間は遅く進む」という。
超重力圏に入ったクーパーたちと、地球での時間の進み具合が違うのだ。
地球の方が早い。
その「時間差」からくる主人公の焦りが、観る者にストレスを与え続ける。
『何者』かに導かれるように『ここ』まできたクーパーだが、ミッションの失敗に次ぐ失敗。
更に地球から遠ざかるを得なくなる。
それも超重力の彼方。
純粋なSF映画だが、この物語の命題は間違いなく「父は娘に再び会えるのか?」だ。
人類存続の使命と、娘との約束の間で葛藤する父親。
その姿に胸打たれる。
数多くある伏線の回収にも目を見張る。
一見の価値ある映画だ。
蛇足だが「浦島太郎」の原文では、竜宮城で三年過ごし、帰ってみると、なんと七百年も過ぎていた、というのである。
千年以上前に、こんなSFまがいの話が作られていたとは驚きである。
しかも「七百年たった地に帰って来た」とあるのだから、少なくとも彼はそれから更に七百年前の人間だということになる。
七百年という時の経過……。
それを認識できたのは一体『何者』なのだろう?
完
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蒼井シリウスさんの日記
映画レビュー『インターステラー』
[作成日] 2015-05-20 09:25:48