作者ページ
阿修羅さんの日記
三年前。
[作成日] 2014-03-11 17:44:46
三年前の今日私阿修羅は
産婦人科の個室にて長い長い陣痛と
ただ一人で戦ってました。
陣痛の痛さを忘れる位の衝撃を受け
そして涙がとまりませんでした。
3月11日この日
沢山の人が亡くなりました。
産院中のテレビが次々と
津波の映像に変わっていき
お腹の大きい妊婦さんを考慮し
テレビは消されていきました。
そしてみんな携帯で連絡を取り始めました。
私は個室にいた為
つけたままのテレビ。
先生がきて内診してくれるんだけど
その時既に陣痛は止まってました。
だって私の家族には地震被害がないか心配で。
子宮口開いてんのに陣痛止まるとか…
もう私いろんな事がパニックで
結局この日産まれるはずだった息子は
でてきませんでした…。
夜中になり仕事が終わった旦那様がきてくれました。「いつ連絡くるか待っちょったんばい」そうだよね…産まれる予定でしたからね。
「オカンと連絡取れたか?」この日何度か連絡したけど電話は繋がらず…早朝メールがとどきました。「みんな大丈夫やからね」と。岐阜は大丈夫だったみたいです。
安心したのかメール見て一時間経った位に陣痛が始まりました。超スピード出産で朝方4時過ぎに息子が産まれました。旦那様は自宅で就寝中だったから一人で頑張りましたよね…。
退院する日…産院からプレゼントをもらい家に帰り、中身を見てみた…産まれた日の新聞の一面がファイルに入ってました。
死者数なんてまだ出てなかったんです。
ただ…なにもかもが流されている写真だけ。
わたし…こんな時に子供産んだんだ。
元気にオッパイ飲む息子を抱きしめ
涙が流れたのを覚えています。
明日息子は3サイになります。
おめでとうは言いません…
生きて産まれてくれてありがとう。
風化しちゃ駄目なんです。
私は忘れません。
日記へのコメント
広竹様
私の所にもオムツや粉ミルクの件でいくつか連絡を貰いましたが、出来た事は衣類(大人女性物)を送る事だけでした。特にスーパーなどは買い占められる事は無かったですが…我が家の家庭もイッパイイッパイで。何もできなかった事が情けないです。
被災地でのお母さんや子供さん、本当に辛い日を過ごされたと思うと涙がでます。復興もまだまだな中生活されている方がこれから先減っていく事を願っています。
ハルマニス様
海外にいらしたんですね。それは不安だったでしょうに…連絡もつかない、現状が分からない。それって…本当に自分は情けないって思ってしまいますよね。私も同じ気持ちで携帯片手に考えていましたから。
そうですね!前に進む。大切な事ですよね。
日本全体がそう思えたら素敵です。
お父様は大丈夫だったんですか(´・ω・`)?
藤見様
忘れたい事かもしれないけど、忘れず風化させない事もやはり必要かと。でもそんな思いは被災した方には無責任な言い方かもしれませんね。
私たちができる事、もっと考えていかなければいけないと振り返らせられました。
初めまして。
私の住んでいる地域は被害も何もなく、夕方早目に帰宅した主人に言われるまで知らずにいたくらいです。
当時まだ9ヶ月だった三男。
その日のうちに、紙オムツや粉ミルクやベビーフードが買い占めのために売り切れ続出。
余ってたら被災地に送りたいから集めてますというメールがママ友からたくさん来て…
でも普段ストックを置かない我が家は協力出来ず…。
むしろ、我が子の明日の分も困る状態で、あちこちのお店を回って探した覚えがあります。
こんなに離れた地域ですらこんな状態だったのだから、被災地のお母さん方の苦労は並大抵ではなかったと思います。
本当の意味での復興の日が、早く訪れるといいですね。
私の住んでいる地域は被害も何もなく、夕方早目に帰宅した主人に言われるまで知らずにいたくらいです。
当時まだ9ヶ月だった三男。
その日のうちに、紙オムツや粉ミルクやベビーフードが買い占めのために売り切れ続出。
余ってたら被災地に送りたいから集めてますというメールがママ友からたくさん来て…
でも普段ストックを置かない我が家は協力出来ず…。
むしろ、我が子の明日の分も困る状態で、あちこちのお店を回って探した覚えがあります。
こんなに離れた地域ですらこんな状態だったのだから、被災地のお母さん方の苦労は並大抵ではなかったと思います。
本当の意味での復興の日が、早く訪れるといいですね。
3年前に生まれて、無事に3歳をむかえた命。
私もとても嬉しいです。
あの時私は、主人の仕事で異国に赴任したばかりでした。
「日本が大変らしい」主人からの電話
私は思い当たる人全てに連絡
誰とも連絡がつきません。
後から実家の古い家が半壊し父が怪我したことを知り
何もできない自分が
悔しくて悲しくて情けなくて…そして不安でした。
語学のために通っていた大学で
私が朝教室に入ると、シーンとなりました。
みんな寄ってきて、ギューってハグしてくれました。
日本を応援してくれている…
涙が止りませんでした。
復興も含め、私たちは前に進むしかないのだと思います。
あの日を忘れず、日本人の誇りを胸に!
私もとても嬉しいです。
あの時私は、主人の仕事で異国に赴任したばかりでした。
「日本が大変らしい」主人からの電話
私は思い当たる人全てに連絡
誰とも連絡がつきません。
後から実家の古い家が半壊し父が怪我したことを知り
何もできない自分が
悔しくて悲しくて情けなくて…そして不安でした。
語学のために通っていた大学で
私が朝教室に入ると、シーンとなりました。
みんな寄ってきて、ギューってハグしてくれました。
日本を応援してくれている…
涙が止りませんでした。
復興も含め、私たちは前に進むしかないのだと思います。
あの日を忘れず、日本人の誇りを胸に!
本当ですね…。
三年前…本当に大変な事、色々ありました。
忘れちゃいけないと思いましたm(_ _)m
三年前…本当に大変な事、色々ありました。
忘れちゃいけないと思いましたm(_ _)m
前へ
|
次へ