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月の川 〜真珠浪漫物語 番外編〜
第1章 天使の手のひら
月城が麻布の北白川伯爵家に着いたのは、夕暮れのことであった。

…故郷北陸から半日以上汽車に揺られ、ようやく上野駅に着いたのは良いが…駅構内は見たこともないような人混みでごった返していた。
月城は一瞬立ち竦む。
…北白川伯爵の好意で差し向けられた車を駅前で見つけた時には安堵の溜息を吐いた。

人の良さそうな制服を着た運転手が、月城に笑いかける。
「月城さんだね?旦那様から聞いていますよ。さあ、乗って」
運転手は黒く輝く大きな車の後部座席のドアを開けた。
「…ありがとうございます…」
…自家用車など見たことも、もちろん乗ったこともない月城はこわごわと車内に乗り込む。

…小さな豪華な部屋みたいだ!
革張りの座席、窓ガラスはピカピカで、手触りの良い高そうなカーテンがついている。
足元も絨毯のようなものが敷き詰められていてふかふかだ。
何だか分からないが良い匂いもする…。
…靴は脱いだ方がいいのかな…?
月城が迷っていると運転手が運転席に乗り込み、月城を振り返る。
「荷物はそれだけ?」
月城は自分の古びた鞄を見る。
教会の神父が都合してくれた鞄には、僅かな着替えと大切な教科書と辞書、そして母がなけなしの貯金を叩いて買ってくれた新しい眼鏡が入っていた。

「…その眼鏡はもう見えづらいでしょ?目を悪くするといけないから…。あんたは勉強しすぎるからね」
そう言って薄幸そうな顔に優しい笑みを浮かべた。

母は幼い妹を背負い、弟の手を引き、故郷の小さな駅まで見送りに来てくれた。
とっておきの白米を炊いて作ってくれたおにぎりは三つ。
母は経木で包まれたそれを汽車の窓越しに手渡してくれたが、月城はすぐに、お腹を空かせている弟と妹に、一つずつ、渡してしまった。
「…にいちゃん、いいの?」
まだ1歳の妹は無邪気に受け取り口に運ぶが、6歳の弟は遠慮勝ちに月城に聞く。
月城は弟に微笑みかけ、頷いた。
「いいんだ。にいちゃんは一個あれば充分さ」
母親が顔を歪め、手ぬぐいで目頭を押さえる。

「…あんたは幸せものだよ。東京の華族様がわざわざ、あんたを見出してくだすって引き取ると仰ったんだ。こんな幸運あることじゃない。…しっかり勉強して、ご恩に報いるんだよ」
母親は動き出す汽車に追いすがりながら語りかけた。
月城は小さく頷いた。

…母親と弟妹の姿はあっと言う間に小さくなった。










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