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神さま、あと三日間だけ時間をください。
第4章 ♭切ない別れ♭

鐘つき堂の側に由来を記した立て看板がある。読んでいくと、この寺は元は尼寺だったらしい。後醍醐天皇の寵愛を受けたという女官が建てたものだという。後醍醐天皇といえば、政変で朝廷が分裂した際、南朝方として京都から吉野へと逃れ、吉野朝廷を築いた人物として知られる。
女官名を安擦使(あぜち)大納言(だいなごん)典侍(のすけ)と呼ばれたその女人は帝との間に皇女まで儲けたものの、帝が都を追われる際に別れ、一人でこの地に流れ着いた。以後は皇女を育てながら仏道に明け暮れる日々を過ごし、六十有余歳で亡くなったと伝えられる。
女官名を安擦使(あぜち)大納言(だいなごん)典侍(のすけ)と呼ばれたその女人は帝との間に皇女まで儲けたものの、帝が都を追われる際に別れ、一人でこの地に流れ着いた。以後は皇女を育てながら仏道に明け暮れる日々を過ごし、六十有余歳で亡くなったと伝えられる。

