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エリュシオンでささやいて
第10章 Changing Voice
天使の顔と、天使の声を持つそのひとは、口端を持ち上げて言った。
「久しぶり」
その声は、初めて聞く低い艶やかな男声。
灰色のパーカーにチノパンにスニーカーという格好をしたそのひとは、どう見ても裕貴くんくらいの若い男性としか思えない。
あたしの目からは涙が零れる。
恐怖なのか、懐古なのか、感動なのか。
それとも衝撃なのか。
少年から、天使が見える。
天使は死んでいなかった。
「柚――っ」
崩れ落ちそうな身体を、後ろから駆け寄った須王が支えてくれた。
そして一緒に少年を見る。
「ソプラニスタ……いやカストラート?」
少年は須王の怪訝な声に笑いながら肩を竦めると、パーカーのフードをかぶり猫背になり、両手をチノパンのポケットに突っ込みながら言った。
「またね、お姉サン。今度はそいつのいないところで、会おうよ。お姉サンの唇、また味あわせて?」
情欲に満ちた妖艶な眼差しに、ぞくりとする。
彼は、九年前に天使があたしに深いキスをしてきたことを知っている。
「じゃあね、十悪に気をつけて」
「おい、待て!」
しかし須王は座り込むあたしを放置することは出来なかったようで、少年は軽快な足取りで、人混みに隠れるようにして見えなくなった。
……いつの間にか、物騒なピエロもいなくなっていた。
人々の好奇な眼差しは、地面に座り込んでしまったあたしに向けられている。
「三芳、撮ったか!?」
「ええ、動画でばっちり」
「柚、立てるか。ひとまず、帰ろう」
あたしは両側からふたりに支えられて、上野公園を去る。
身体が興奮してたまらなかった。
あれは天使だ。
天使が男の子になり、喋れるようになったんだ――。
あたしは嬉しくてたまらなかった。