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第29章 典子

僕は優子から柔らかい手拭いと浴衣を手渡された。
じきに夕刻だから浴衣でくつろげとの事。

僕はそれを小脇に抱えて鬼流しの湯へと向かった。

相変わらず頭の中は達弘さんの件でいっぱいだったけれど、それ以上に鬼神祭や奴奴が気になった。

横山先生の診療所で見た千秋という少女、あの少女のように親に見捨てられた子供はまだいるのだろうか。

自分さえそれで良いなら愛する我が子はどうでも良いのか。
子供が居ない人生に何の魅力があるのだろうか。

考えだして僕は口を右手で覆った。

…僕も同じじゃ無いか…僕も真理子さんとの子供を自分の人生の為に…。

僕は子供を見捨てた彼らを責める権利は無い。
僕も漫画家という薄っぺらい幻覚の為に子供1人の命を見捨てたのだから。

奴奴となんら変わりはし無い。

なんだかこの場所に存在している事が恥ずかしく感じた。
呼吸する事すら申し訳ない気がした。

僕は苦いものを奥歯で噛み締めながら歩みを進めた。

やがて空へと水蒸気を上げる鬼流しの湯が見えて来た。

泥や砂や石炭や得体の知れない水分で汚れた身体を一刻も早く綺麗に洗い流したかった。

ひぐらしが良く鳴いている…じきにこの辺りも夕日に染まるだろう。

僕が脱衣場に足を踏み入れると、白く分厚い湯気の中から摩擦音がした。

デッキブラシで擦る音だ。