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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
哲夫の中で氷解していくものがあった。
忘れることの難しい人生の事実は、それが物語として昇華されたときに初めてその先を歩むことができる―――。
真紀にそう教えられたような気がした。
大切なものを失って途方にくれたとき、過ぎてゆく一瞬一瞬を誰にどう伝えればよいのか、物語どころかその文法すら持たなかった。
しかし真紀は身内の悲しい死を、己の言葉で詠(よ)み、愛惜の物語としてしっかりと切り結んだのだ。
その物語はきっと、彼女の偽りのない心を吹き込まれて、胸懐の本棚へしまわれているのだろう。
哀しみをきちんと引き受ける。
本当の弔いとは、そういうことなのかもしれない。
哲夫は、高田真紀という人間が、生きてきた道筋で見聞きしたものよりも、彼女がそのつど何を考え、何を感じたのかに興味をそそられた。
そして、自分と等質の精神的背景を持つ彼女に選ばれたことに、確かな歓びを感じた。
この齢で価値観を共有できる相手と出会えたのは得がたい幸運である。
(潮時、いうやつやな)
真紀へにじり寄った哲夫は、彼女の顔をのぞきこんだ。
吹き消そうしても決して消えない火が、心に灯ったような気がした。
『なぁ、高田さん。
ここ引き払(はろ)て、うちへ来ェへんか。
そうしてもらえたら、僕、嬉しいんやけどな』
目を見据えて言う哲夫に、真紀はほんの少し息をのんで、しっかりとうなずいたあと、パッと花の咲くように笑った。
あまりにも無垢でかわいらしい笑顔が、哲夫を照れさせた。
『よっしゃ!
晩御飯まだやろ? なんぞ食べに行こか』
『おいしいて評判の焼き鳥屋が近くにあります』
『ええがな。いこ』
興に乗ったやりとりに心が弾む。それから、競い合うように脱ぎ散らかした下着を探した。
滅多につかわない部分を動かしたからか、シャツを着る際、哲夫は脇腹に鈍い痛みを感じて苦笑いした。