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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
そういえば、年の瀬に事務所の大掃除を終えたあと、帰る道すがら真紀を車で送ったことがあった。
―――離婚してから、盆正月はいつもひとりです。
道中で何気なしに聞いた、それが彼女の年末年始の予定だった。
普段から無駄口をしない真紀がそう言ったあと、車内はいっそう静かになった。
こぢんまりしたハイツの前で降りた真紀は、何もそこまでしなくてもと思うほど深々とお辞儀をしてから、鉄製の煤(すす)けた外階段を響かせて二階へあがっていった。
離婚の原因はもとより、業務以外に真紀の日常を詳しく訊いたことはない。
ただ、カンカンと鉄階段を打つヒールの音と、師走の寒風に圧される女のうしろ姿が寂しげで、それが自分とぴったり重なった。
頭上にわだかまる雪雲がそう見せたのかもしれないが、仕事を終えて無人の家に戻っていく自分の姿も、彼女とどれほどの違いもないのだろうと想像できた。
未だ真紀が独りでいる理由はわからないまでも、同じような境遇の自分たちが、やはり似た者どうしだと思えたのは、あのとき車内の微妙な静けさの中で、真紀が肌のぬくもりを欲していると感じたからだ。
むろん確証はない。確証はないが、そうと嗅ぎ取れるものがあった。
実際、肉体の寂しさを埋めるだけなら、素性の知れた自分たちは、安全で合目的に妥当な相手同士だといえた。
ともに四十を過ぎている。まどろこしいロマンスの手順を踏まねばならぬ齢ではない。
お互いに要件を満たしてはいた。
だが、それでも真紀のあとを追わなかったのは、配偶者をなくした独り者同士が、劣情にかられて身をゆだねあうことに、惨めさを覚えたからだったように思う。
いや、割り切る勇気がなかっただけか、それとも真紀が真紀以外のものになるのを怖れたか……。
いずれにせよ、終わったとたんに背を向け合うような行為は、罪悪感しか残らない。