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胸懐の本棚
第1章 胸懐の本棚
事務所へと向かう車の中で、哲夫は、高田真紀と自分とのあいだに持ちあがっていたらしい再婚話について考えていた。
真紀は髪型や服装も分をわきまえた年齢相応の見苦しくない女だ。齢は自分よりたしか四つ下だったか。
昔から周到だった姉は、最初から、わびしいヤモメ暮らしの弟にあてがうつもりで真紀を雇わせたのだろう。
信頼のおける彼女なら弟の再婚相手に不足はないと。
たしかに、真紀の人格は疑いようもなく、自分には身に過ぎる相手といっていい。
そうしたことは、たとえば、伝言メモの適確さや書かれた文字の筆跡といった日頃の小さなことからも窺える。
何につけてもソツなくこなす上に頭がいいので、少しの手ほどきでCADソフトの扱いも覚えてしまい、ちょっとした図面の修正ぐらいなら安心して任せられる。
ただ、仕事上の立場の違いがあるせいか、真紀とはかれこれ五年にもなるのに、心中あきらかに打ちとけて話した記憶がない。
互いに正体をあばかないというか、生きてきた道を必要以上に明かさないことで保ってきた人間関係というのか、早い話が、よく知らない、のだ。
むろん彼女から特別の好意を示されたこともなければ、こちらがほのめかしたりしたこともないつもりでいるが、彼女への愛情について問われれば、正直なところ困ってしまう。
信頼に足る人物だからといって、仮に、過不足ない程度のおざなりな愛情で手を取りあうのだとすれば、それは彼女に対してあまりに無礼な話だろうし、まさか、十年前に失ったものを取り戻せるとも思えない。