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いつかの春に君と 〜 番外編 アンソロジー集〜
第1章 三日月夜にワルツを
もちろん、遺体はおろか遺品も上がらなかった。
伊織のもとには、この写真だけが遺されたのだ。

…和葉の戦死後、伊織は海軍を辞めた。
和葉がいない海軍で和葉の面影を感じながら生きてゆくことは、伊織にとって拷問に近い行為だったのだ。

…俺は和葉をもっと守れたのではないか…。
和葉が海軍に入らないよう、説得することもできたのではないか…。
…俺が…俺が…!

自分を責め続け…何より、和葉の喪失感に耐えかねた。

和葉は伊織にとって、すべてだったのだ。
…与えられなかった愛を、和葉は惜しみなく与えてくれた。
…いつでも優しく、伊織を抱きしめてくれた。

…そして、和葉との蕩けるように甘美な愛の交わり…。
甘く切ない口づけ…愛の日々…。

…すべてが一瞬にして、奪われた。

伊織はその武術の巧みさと、頭脳の明晰さ…そして、青年にしては老成し、冷静沈着な性格を買われ、憲兵隊へと転身した。

…特に希望の部隊だったわけではない。
海軍以外ならどこでも良かった。
和葉の面影と薫りのない、殺伐とした…ひりひりとした現場で、心を押し殺して仕事が出来るなら、どこでも良かったのだ。

…沢山の粛清に手を染めた。
拷問、虐殺…手を下したことも、指揮をしたこともある。
何人ひとを殺めても、心は微動だに動かなかった。

…俺の心は…和葉と共に、死んだのだ。
だから、何も感じないのだ。
砂を噛むような…無辜の年月が過ぎ去った。

…最近、ふと思うようになった。

和葉は綺麗なまま亡くなったから天国にいるのだろう。
だが、俺は地獄だ。
…この手は夥しい血で染まっているのだから…。

…だから、あの世で会えないかもしれないな…。

写真の和葉が少し微笑ったように見えた。
…大丈夫、僕が伊織を迎えに行くから…。
和葉の囁きが聞こえた。

伊織は、愛おしげに写真を撫でる。
…早く、迎えに来てくれ…和葉…。

和葉のいない二十数年もの年月を、俺は一人で過ごした…。
褒めてくれるか…。

和葉の写真は、微笑んだままだ。

隙間風が吹き込み、ランプの灯りが不意に消えた。

伊織は立ち上がり、窓を押し開けた。

…外は、三日月夜だった。






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