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僕の美しいひと
第2章 夜の聖母
「…ええ、たったひとりの弟…。
貴方によく似ているわ…。とても綺麗で優しくて…少し気が弱い子だったの…」
まるでその弟の面影を郁未に重ねるように、見つめられる。
「…そうなんですか…」
「弟の夢は飛行機に乗ることだったの。
だから、航空部隊に入りたい…と。
その為に士官学校への入学を希望していたわ」

郁未は嬉しくなって声を弾ませた。
「僕と一緒ですね!弟さんは今、どうしていらっしゃるのですか?
何年生ですか?」

「…入学前に亡くなったわ。…肋膜を病んで…」
貴和子の貌から笑みが消えた。
郁未ははっと息を飲んだ。
「…すみません…」
静かに貴和子は首を振る。
「いいのよ。
…私は、弟を良い病院に入院させたくて、高嶋の求婚を受けたの。
…芸者の稼ぎではしれていたから…。
けれど一年経たない内に、弟は亡くなったわ…。
…私に詫びながら…。
姉さん、ごめんね…て…」
華やかな美貌が、微かに歪んだ。
独白のような言葉が、その美しい朱色の口唇から溢れる。
「…どんな気持ちで、弟は謝ったんだろう…。
…私のしたことは、何だったんだろう…て。
…虚しくて…哀しくて…その気持ちは今もずっと心に残っているわ…」
貴和子の脚が止まる。
「…貴和子さん…」
貴和子の美しい黒い瞳は、硝子玉のように静かに孤独の色を映していた。

「…郁未さん、貴方はとてもお幸せなのよ。
裕福なお家にお生まれになって、ご立派なご家族に愛されて…。
だから、ご自分の選んだ道を自信を持って生きていらして」
…私の弟の分も…。
そう、付け加えた。
「貴和子さん…。あの…」

勇気を出して口を開いた刹那、舞踏室から老人の嗄れ声が響いた。
「貴和子、貴和子?どこにいるのだ?」

貴和子は夢から覚めたかのように再び艶めいた雰囲気を身に纏い、蠱惑的に微笑った。

しなやかに郁未を引き寄せ、その額に軽く口づけた。
…それはまるで肉親に捧ぐ親愛の込もった口づけであった。

「…ご機嫌よう、郁未さん。
貴方の将来がお幸せなものでありますように…」
…そう別れを告げると、貴和子はシフォンベルベットのドレスの裾を翻し、嫋やかに立ち去った。

…仄かな馨しい香水の薫りのみ残して…。
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