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スキンのアンニュイから作品を作ってみませんか?
第9章 匿名希望【ビター・トラップ】

「そういえば君は、あまり連絡をしてこない人だったな」

 まるまるとした赤ワインのグラスを丁寧に置いて、彼はブラックリムの眼鏡越しに、ふっと懐かしむような視線を正面のバックバーに投げた。
 肯定しようか否定しようか少し迷った挙げ句、その横顔を見ながら、私は一番ずるい答えを口にする。

「そうだっけ」

 軽く言うつもりだったのに存外湿っぽくなった声に、思わず自嘲気味に笑ってしまう。すると、私の顔を横目に見た彼も同じような笑みを浮かべ、物憂げに頬杖をついた。

 六年ぶりに偶然再会した元恋人。なんて、できすぎたドラマのよう。冷めた印象すらある切れ長の目も、捲った長袖シャツから伸びる腕の逞しさも変わらない。
 幾分柔らかくなった物腰が感じさせる月日を残酷に思いながら、鋭角な人だったという記憶に、今ある鈍さを少しずつ上書きしていく。すると案外、というか予想通り、いい男だと感じてしまった。

「本当はね、したかったかも。送れなくて消したメッセージ、たくさんあるのよ」

 当時の幼さゆえの、精一杯の虚勢だった。言葉を交わして声を聞いて、こうして会ってできるなら触れて。だけどなんとなく、それを望まれていない気がしていたから。
 結局それは、今もどこかで引きずったまま。表層に浮かべたくだらないプライドを寄せ集めては、内に沈む澱みを隠してる。
 
「くれればよかったのに」
「うん。でもうまく、できなくて」

 臆していたのだ。
 本当に好きで、どう接していいかわからなくて。嫌われたくなくて。大事にされたくて。勝手な欲望に押しつぶされそうで。余裕そうに気だるげに微笑む男の記憶に残りたくて。だから。
 突然私が告げた別れの宣告にも、さらりと『いいよ』と言うようなドライな男に、臆してた。

「うまくできなくて、ねえ……」

 彼は思い当たることがあったのか、呆れたみたいに苦笑いをする。
 細まる目に見る面影に、フィルム映画のような断片的な映像が脳裏をゆっくりと流れていく。
 忘れていないことはいくらでもあった。バーが暗いせいで、記憶のほうが鮮明になっているみたい。だけどその中に、暗い、暗い映像がある。

「……ねえ。まだ時間ある?」

 彼の肩越しに見る天井はいつも、薄闇だった。明るい中で抱き合うことを、彼が嫌ったからだ。

「もう一杯? いいけど――」
「私の夫、今夜いないの」

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