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妹
第10章 居待月(いまちづき)
その日は月哉の接待に同行していた為、東海林(とうかいりん)は月哉を本邸まで送って来ていた。
使用人が恭しく重厚な扉を開くと、微かにピアノの音色が耳に入る。
「雅はまだ起きているのか?」
月哉は疲労が浅く蓄積した顔をあげると、使用人に尋ねる。
「はい、数分前から弾き始められたので……」
「いつもそうなのですか?」
使用人が困惑した顔を見せた為、東海林は気になって月哉に問う。
「敦子が同居しはじめてから、雅が胎教に良いからと赤ちゃんにピアノを聞かせるようになってね。それからピアノにはまったらしくて……放って置くと、朝方まで弾いているのだよ」
「……少しお邪魔して宜しいですか?」
東海林は月哉に断りを入れると、階上の雅の私室へ赴く。
部屋の前までくると、演奏されている曲がようやく判別出来るくらいの大きさになった。
(リストの、マゼッパ――?)
私室の玄関となる扉をノックしても返事かないため、扉を開けて中に入る。
リビングの扉を開けると、防音壁を介して聞いていた演奏とはかけ離れた、圧倒的な音の塊が東海林の身体にぶつかってきた。
照明を極限まで落とした薄暗い部屋の中、リビングに据えつけられたグランドピアノで、一心不乱に弾く雅がいた。
フランツ・リストの超絶技巧練習曲のひとつであるマゼッパは、その名の通り弾きこなすだけでも並外れた技術が要される。
鍵盤上での広い間隔の手の跳躍と、激流のような勢いのスピードの為、雅の華奢な身体は音を紡ぎだす度に跳ね、鍵盤を叩きつけるようなタッチは、まるでピアノに捌け口のない苛立ちをぶつけているようにさえ見えた。
(奥様が同居し始めた頃から、また以前の雅様のように我が儘を言わなくなくなったと月哉様から聞いていたが……もしかして相当、抑圧された状態なのではないだろうか――)
東海林は先日招かれた、本邸でのガーデンパーティーを思い出していた。
そのガーデンパーティーは近しい者達だけで中庭でランチを頂くもので、敦子の両親も呼ばれていた。
気の置けない友人達とシャンパンを飲み気持ちよくなった月哉は、雅にバイオリンを聞かせろとねだった。
「では、久しぶりにチャルダシュはいかが? お兄様も宜しければ」