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フレックスタイム
第1章 午前7時の女
午前7時の会社は、基本的には誰も居ない。
まれに飲み会で終電逃した人や締め切りに間に合わず徹夜した人が、
デスクや休憩スペースで仮眠していることがあるけど、
静まりかえっていることがいつもの状況だ。


私は人混みが苦手で、
満員電車に乗るのも苦手なので、
家から徒歩で通えて、
フレックスタイムで働ける仕事を探してここに就職した。


主に翻訳業務をやっていて、
時々海外とのオンライン会議が入る。
基本の勤務時間は7時から15時。


早い時間に、社長をしばしば見掛けることがあった。
とはいえ、ワンフロアで200人以上座れる広い室内の反対側に居るので、
特に挨拶することもなく、
多分私のことなんて知らないだろうと思っていた。


ただ、この日は少々、様子が違っていて、
何故か社長が速足で私のデスクに向かってやってきた。


「海外マーケの佐藤さんだよね?
悪いんだけど、私用を頼まれてくれないかな?」

…私の名前、知ってるんだと驚きながら、
「はい。なんでしょう?」と立ち上がって訊いてみた。

「下に待たせている車に息子が乗ってるんだけど、
幼稚園まで送って来て欲しいんだよね」

「えっ?」

「お手伝いさんが病気で急に辞めちゃってね。
でも、俺、今日は朝イチから株主総会に向けた幹部会があって、
幼稚園まで連れて行けないんだよね」と言う。

「勿論、勤務時間内だから、業務として社長から依頼した急ぎの仕事ってことで、上長には俺から話しておくから」

「承知しました。
行き先は、車の運転手さん、ご存知ですよね?
それと、学校や幼稚園って、
身元がはっきりした人じゃないと出入り出来ないですよね?
会社のこのIDカードで大丈夫ですか?」と訊くと、

「これを!」と言って、
保護者用のIDカードのようなものを渡して、

「勿論、佐藤さん、
英語喋れるよね?」と言った。

「まあ、普通に話す程度なら」と若干の謙遜を交えて言うと、
幼稚園の名前を言われた。
私も幼稚園から高校まで通った懐かしい母校だった。
上は女子校だけど。

「息子は英語と日本語、
チャンポンで話すんだよね。
英語の方が多いかな?」


「一応、下まで行って、お子様に私を紹介してくださいね?」と言いながら、
バッグを手にエレベーターに急いだ。

そんなに長時間、幼児を待たせるなんてと心配したからだった。
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