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ノーサイドなんて知らない
第8章 言葉に出来ない不安
入院中は傷の痛さでとても育児をスタートさせるということが正直出来なかったけど、
その分、熊野さんがオムツを替えたり、
ミルクをあげたり、
沐浴もしてくれていた。
少し小さく産まれたこともあって、
4日ほど、新生児室で過ごした後、
母子同室になった。
帝王切開のせいなのか、
おっぱいが殆ど出なくて、
マッサージされるのも痛くて、
なんだか母親失格な感じがしてしまって落ち込んで、
涙が出てきてしまう。
そんな私を、
「まだ産まれるっていう感じに身体が整う前に、
腹を切って取り出したんだからさ。
赤ん坊も吸う力、弱いし、
茉莉(めあり)の身体もお母さんになってないからだよ」と、
熊野さんは優しく言ってくれる。
お母様や母も、
「ミルクだと、私たちも預かれて、
かえって良いじゃない?
なんなら、パパたちも、授乳出来るし」と笑う。
そんなのんびりした環境だったので、
その後はあまり落ち込むこともなくて、
段々母乳も出るようになってきたりした。
ただ、思いもかけないことも起こってしまった。
イギリスの祖母が、
体調を崩してしまって、入院することになったという電話が、
母に掛かってきた。
祖母の体調は深刻ではないけど、
少し気難しい祖父の方を見てあげないといけなくなったという。
「ママはすぐにイギリスに帰って?
私は、薫さんが居るから大丈夫だから」と、
母を送り出しながら、
心の片隅ではかなり心配になっていた。
大学が始まったら…。
大丈夫かな?
熊野さんも心配してくれていた。
まだまだ、本調子ではなくて、
少し動くのも辛い中、
退院することになる。
熊野さんのお母様が、
「うちに来たら?
一階使うようにしたら、
バリアフリーだし、
必ず私は家に居るから、
何かの時にすぐに動けるし」と言ってくださる。
熊野さんも、
「その方が安心だな。
甘えない?」と言う。
それで、退院後から、
熊野さんのご実家に暫くお世話になることにした。
赤ちゃんと私のものは、
熊野さんとお母様が運んでくださっていたので、
本当に退院後、熊野さんのご実家に直行した。
それを見届けて、
母はイギリスに戻った。
その分、熊野さんがオムツを替えたり、
ミルクをあげたり、
沐浴もしてくれていた。
少し小さく産まれたこともあって、
4日ほど、新生児室で過ごした後、
母子同室になった。
帝王切開のせいなのか、
おっぱいが殆ど出なくて、
マッサージされるのも痛くて、
なんだか母親失格な感じがしてしまって落ち込んで、
涙が出てきてしまう。
そんな私を、
「まだ産まれるっていう感じに身体が整う前に、
腹を切って取り出したんだからさ。
赤ん坊も吸う力、弱いし、
茉莉(めあり)の身体もお母さんになってないからだよ」と、
熊野さんは優しく言ってくれる。
お母様や母も、
「ミルクだと、私たちも預かれて、
かえって良いじゃない?
なんなら、パパたちも、授乳出来るし」と笑う。
そんなのんびりした環境だったので、
その後はあまり落ち込むこともなくて、
段々母乳も出るようになってきたりした。
ただ、思いもかけないことも起こってしまった。
イギリスの祖母が、
体調を崩してしまって、入院することになったという電話が、
母に掛かってきた。
祖母の体調は深刻ではないけど、
少し気難しい祖父の方を見てあげないといけなくなったという。
「ママはすぐにイギリスに帰って?
私は、薫さんが居るから大丈夫だから」と、
母を送り出しながら、
心の片隅ではかなり心配になっていた。
大学が始まったら…。
大丈夫かな?
熊野さんも心配してくれていた。
まだまだ、本調子ではなくて、
少し動くのも辛い中、
退院することになる。
熊野さんのお母様が、
「うちに来たら?
一階使うようにしたら、
バリアフリーだし、
必ず私は家に居るから、
何かの時にすぐに動けるし」と言ってくださる。
熊野さんも、
「その方が安心だな。
甘えない?」と言う。
それで、退院後から、
熊野さんのご実家に暫くお世話になることにした。
赤ちゃんと私のものは、
熊野さんとお母様が運んでくださっていたので、
本当に退院後、熊野さんのご実家に直行した。
それを見届けて、
母はイギリスに戻った。