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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
…そこには、アメジスト色の高価なシルクタフタのイブニングドレスに身を包んだ、見事な銀髪の老齢の貴婦人が佇んでいた。

「…あ…」
慌てて姿勢を正す。
従者がだらしない格好や振る舞いをしていたら、主人の評判を落としてしまう。

老婦人はそのヘーゼルグリーンの瞳に笑みを浮かべながら狭霧に音もなく歩み寄った。
衣摺れの音すらしない、見事なスカート捌きだ。

「貴方たちの美しいワルツをうっとりと拝見していたのですよ。
まあ夢の王子様と王様のようでしたわ」

狭霧は伯爵と自分との戯れのワルツを見られていたことに焦りながら、お辞儀をする。
「…あ…恐れ入ります…。
…マダム…」

…恐らくは招待客のひとりだとは思うのだが、もちろん名前も貌も分からない。
かと言ってこちらから名前を聞くような礼儀知らずは絶対に出来ない。
身分の違いというのは、このように厳しい決まりまりごとで縛られているのだ。

狭霧の当惑を察したのか、老婦人はにっこりと笑った。
「…ご心配なく。
私も堅苦しい儀礼は苦手なのよ。
形式ばかりで実のないおしゃべりもね。
退屈極まりないわ。
もう何十年も繰り返して、いい加減うんざりしているのよ。
だからバルコニーに逃げ出してきたの。
私のことはマダムとだけ、お呼びなさい」

悪戯めいた笑みは少女のように可愛らしい。
硬質で端正な貌とは裏腹に、面白いひとなのかもしれない。
狭霧は少しほっとした。
「…恐縮です。マダム」

…舞踏室から流れる曲が、皇帝円舞曲に変わった…。



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