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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
「…え…」
狭霧は思わず息を呑んだ。
同時に、胸の鼓動が速くなる。

…それ…って…。
「…ちょ…っ…と…旦那様…」
「君と見たいのだ…。
輝く月の道を…」
「…あの…。
その逸話通りなら…二人は…」
「永遠に結ばれる…」
歌うような口調で美しい眼差しで囁かれる。

「…それは…」
車の中、口唇への淡いキスを思い出す。
勇気を出して、尋ねる。
「…私を…愛していらっしゃると…いうことですか?」

その刹那、伯爵の切れ長の瞳が困ったように瞬かれる。
「…それは…違うな」

「…へ?」
間抜けな声が、思わず出る。
微かに哀しげな微笑を伯爵はした。
「私が愛しているのは、娘の梨央だけだ。
君のことは好きだけれど…愛する訳にはいかないのだ」

「…はあ…」
…なんなんだよ、この人は!
腹立たしいやら呆れるやら胸の中にもやもやとした言葉にならないもどかしい感情が溢れ出す。
訳が分からない。
やっぱり揶揄われているんだ。

「…俺はもう寝る。
おやすみ、ご主人様」
馬鹿馬鹿しくなりさっさと男から立ち去ろうとした瞬間、強く手を掴まれた。

「待ってくれ。
私は、妻を亡くした時に誓ったのだ。
もう、梨央以外を愛さない。
私の愛は梨央だけに捧げる…と」
男の端正な貌から、微笑みは消えていた。
代わりに、そこに浮かぶのは、はっとするような哀愁と、途方もない苦渋の色だ。

…けれど…
男は真摯な眼差しで狭霧を見つめた。
「…いつか、海に映る月の道を君と見たいと思っている。
…これは、偽らざる本心だ」

「…あ…」
…よく分からないひとだ…。
そして、自分には計り知れない哀しみを、彼もまた抱えているのだと、感じた。
不意に、男への切ないような気持ちが溢れ出した。
…同情なのか、好意なのか…または、恋なのか…。

「…旦那様…」
…まだ、その気持ちに名前を付ける訳にはいかないけれど…。

「…俺も、一緒に見るなら貴方がいい…」
そう答えることは、できたのだ。

「…狭霧…」
男の逞しい腕が、狭霧を優しく引き寄せた。
…その白い額に、そっと口づけられる。

「…あ…」
キスのあとが、燃えるように熱い。
…和彦の口づけは、もう思い出せないのに…。

「…旦那様…」
狭霧は思わず眼を瞑る。
涙が、溢れ落ちそうだ。
…男の口づけは、熱い熱を残し、いつまでも狭霧から去らなかったのだ…。



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