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海に映る月の道 〜last tango in Paris〜
第4章 Valet & Earl 〜従者と伯爵〜
「ちょっ…ちょっと…あんた…!」
慌てふためく狭霧の細腰をがっしりとホールドし、伯爵は優雅なワルツステップに導く。
「…私と踊ってくれ、狭霧。
レディたちとのワルツは正直、飽き飽きしているのだ」

「…そんなこと言って…さっきの貴婦人は何なんだよ。
俺なんかよりあの…モロー夫人と踊ったほうがいいんじゃないか?」

伯爵はにやりと笑う。
「おや?妬いてくれているの?」
「ばっ…!
だ、誰が妬くか!」
かっとなり思わず叫んだ。
伯爵が可笑しそうに笑う。
手を離そうにもしっかり握りしめられているので、諦めざるを得ない。
伯爵は、なめらかに狭霧をリードしながらターンを繰り返す。
「…モロー夫人はたくさんの恋人をアクセサリーのように身に付けるのがお好きなのだよ。
私だけではない。
彼女には愛を捧げるひとがごまんといる」

「…そうかな。
そんなふうには見えなかったけれど」

…『貴方は誰も本気で愛さないのよね…』
はっとするほどに寂しげな夫人の声が甦る。
…このひとには、本命のひとはいないのかな?
少し気になる。
少し…だけだ。

「…ワルツが上手いな。
誰に習った?」
近い距離で覗き込まれ、どきりとする。
「…あ…」
狭霧は一瞬躊躇し、やがて小さく答えた。
「…和彦だ…。
和彦は、ヨハン・シュトラウスが…ワルツが好きだったんだ」

「…そう…」

さり気なく眼を伏せる。
伯爵に、静かに見つめられる気配を感じる。
深呼吸をし、そっと口唇を開く。
「…時々、美術学校の講堂や部屋で踊ったよ。
安物の蓄音器でレコードをかけて…。
…和彦はワルツがとても上手かった…」
はにかみ屋だったのに、ワルツは巧みだった。
まるで西洋人のように優雅に踊り、狭霧をリードしてくれた。
『なんだよ。俺は女役か?』
憎まれ口を叩きながら、二人はくすくす笑いながら踊った。

「…辛い記憶を思い出させてしまったかな…」
「…いや…。
辛い記憶…じゃない。
懐かしい…と思うにはまだ早いけれど…」

伯爵が静かに尋ねた。
「…まだ、彼を愛しているんだね」
「愛しているよ。
…ていうか、もう俺は和彦以外は愛さないと決めているから」

不意に、伯爵の端正な眉が顰められた。
握りしめられている手に、力が加わる。

「どうして?」




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