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だから先生は頼りない
第1章 指先
葉の影が揺れる黒板に白い粉の跡がつーっと。
「えー、ですから……解はこうなる、と」
小気味好く叩きつけられるチョークの音。
陽光がノートを舐め、眠気を誘う風が窓から入ってくる。
耳元が隠れる艶のある黒髪を揺らして振り返り、開いた教科書をぐっと手で押さえ確認すると、もう一度黒板に向き直る。
長身に映える長い指先を机の縁に這わせて顔を上げる。
あ、耳裏にピアス痕。
よく見えないけど、そうじゃないかな。
「新城、しーんじょ」
右隣の蜂須賀が小声で呼びかけてくる。
「何?」
「あんま見てっと気づかれっぞ」
「うるさい」
ニヤニヤと頬を緩ませて、ノートの端に「ヤラシー」と書く馬鹿。
余計なお世話だ。
調子よく茶色に染めた長い髪はテニス部らしくて癪に触る。
蜂須賀のお世辞にも綺麗と言えないノートを引き寄せ、シャーペンを三回鳴らして芯を出し「うざい」と書き殴る。
「新城、蜂須賀ー、いちゃついてんじゃねーぞー」
「おわうっ」
「バッ、すみません」
いつの間にか此方を向いていた彫りの深い顔に頭を下げる。
針谷美治先生。
俺は、すごく、先生の顔が好きだ。
一言で綺麗だと思う。
睫毛の長さは言うまでもないっていうか目尻の影の濃さとか、少し大きな口と薄めの唇がエロいっていうか。
数学の担当で挨拶した時から見入ってしまった。
どう見ても一人称「俺」がふさわしいのに、妙に丁寧な響きの「僕」がまたギャップで心臓に悪い。
微笑むこともなく、浅く息を吐いて次の問題に移行する。
ああ、もう少しかまってほしい。
せっかく目線が合ったのに。
交わした言葉は情けなかった。
「好きだな……」
囁くように机に声を落として、板書を書き写す。
字体を真似て、声に集中して。
名前で呼ばれてみたいななんて想像して。
だって、一文字違い。
子春って。
相合傘の落書きをするほど発想は幼稚ではないが、百均に置いていなかった「針谷」の印鑑をわざわざネットで買って、ノートの空白に押して自己嫌悪に陥ったのは中々だったと思う。
三十四歳にして独身なのは、今時珍しくないのだろう。
共学校だったら、モテるんだろうなという容姿。
「はい、メモの用意ー。テストに出すとこ言い、ます」
言葉を区切る瞬間の少し開いた口が大人らしくて惹かれる。