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だから先生は頼りない
第1章 指先
残り五分のタイミングで示し合わせたかのように立ち上がり、パンのゴミとチョークを持つ。
「手とズボンめっちゃ赤いぞ」
「マジで? うわっ」
「洗っとけよー。やだよー、オレの机汚されたりしたらやだー」
「そこかよ」
「そこだろー」
教室に戻り黒板にストックしていると、針谷が使ったであろう白い短いチョークが目に止まった。
そっとそれを指で撫でて、指紋を重ねてみる。
我ながら気持ち悪い。
襟首がぞわりと感覚を呼び起こし、「待て待て」という声も鼓膜を揺らした。
耳を撫でるように手を当てて余韻に浸る。
席に着いても、針谷の指先が手のひらを触れているように温かかった。
一年生の時は、授業が被らず名前と顔すら一致していなかった。
隣のクラスで数学が人気だということだけ耳に入っており、よほど教え方が上手いのだろうと興味はあった。
それも忘れていた春先、初の数学で挨拶した針谷の言葉は忘れない。
「このクラスと二組の数学を担任します針谷美治です。テストはひどいです。容赦しません。範囲は授業で提示するのでついてくるように」
あ、好きってなった。
教師らしいなって。
生徒に媚びを売るわけでも、威圧するわけでもない。
ただあるがままに教師として立っていた。
それは人気も出るはずだ。
宣言通り、範囲の広さに嫌な予感しかしないテストが一週間後に迫っている。
まだ五月だというのに、絶望感が漂う教室は笑えてくる。
「針谷の追試は三次まであるらしいぜ」
「それも落ちたら課題が超やべえって」
「どうヤベーの?」
「量じゃね?」
去年受けていた生徒は対策ノートを仲間に回し、妙な結束力を生み出している。
それも針谷の計算なんだろうか。
藍のスラックスに、淡い青のシャツとベスト。
でもスリッパという足元のゆるさ。
浮き出た喉仏に似合う低音と滑舌の良さが耳心地いい。
あんな大人になりたいと思わされた。
気だるげでも様になり、空気を操れる。
教師になるために生まれてきたんじゃないかってくらい、教壇が馴染む。
美治と子春。
字面は違えど、響きは近いのがこそばゆい。
何度も読み比べてニヤついた。
迷惑はかけたくない。
あと二年はお世話になるのだ。
この想いをどうするか、ゆっくり考えないと。