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舞台の灯が消える前に
第4章 夜の稽古

「送るよ。こんな時間じゃ、もうバスも出てない」
稽古が終わった帰り道。澤田の言葉に、奈央は一瞬迷いながらも頷いた。
彼とふたりきりで歩くのは初めてだった。
秋の風が涼しい。住宅街の細い道を抜ける。足音はふたつだけ。
「今日の演技、よかった」
「……ほんとうに?」
「本当。怖かったよ、あのときの目。泣くか、殴るか、わからなかった」
奈央は苦笑する。自分でも、あの感情の出どころがわからなかった。
澤田の声を聞いた瞬間、体の奥が波打った。それは怒りでも悲しみでもなく――
どこか、熱に似たもの。
「奈央さんは、たぶん、身体のほうが先に信じてしまうんだね」
「どういう意味?」
「頭じゃなくて、肌が“答え”を知ってるってこと」
立ち止まって、彼がこちらを振り返る。
街灯の光の下で、奈央の影が彼の足元に落ちた。
「たとえば、こういうのもそう」
澤田の指先が、奈央の頬に触れる。冷たかった。けれど、拒むことはできなかった。
ゆっくりと、彼の手が奈央の首筋をなぞった。
皮膚の一枚下を、熱がゆっくりと這っていく。
「……稽古、のつづき?」
奈央の声は震えていた。
「わからない。君がそれを“稽古”って思うなら、そうだし」
そう言いながら、彼の顔が近づく。
瞼を閉じれば、それは“演技”という名の口実で、罪の重みを軽くできる気がした。
けれど、唇が触れ合った瞬間、奈央は知った。
これは稽古なんかじゃない。
彼の舌が優しく触れてきたとき、
奈央の奥に眠っていた「なにか」が、ゆっくりと目覚めてゆくのがわかった。
肌が、呼吸が、記憶してゆく。
唇のかたち、指の温度、そして――
愛情とは違う、もっと曖昧で、もっと深い欲望のかたち。
唇を離したあと、ふたりはしばらく何も言わなかった。
奈央は目をそらさず、ただひとつだけ聞いた。
「ねえ、私、どうなっていくのかな」
澤田はそれに答えず、夜の静けさの中、
遠くで鳴く猫の声に耳を澄ませていた。
稽古が終わった帰り道。澤田の言葉に、奈央は一瞬迷いながらも頷いた。
彼とふたりきりで歩くのは初めてだった。
秋の風が涼しい。住宅街の細い道を抜ける。足音はふたつだけ。
「今日の演技、よかった」
「……ほんとうに?」
「本当。怖かったよ、あのときの目。泣くか、殴るか、わからなかった」
奈央は苦笑する。自分でも、あの感情の出どころがわからなかった。
澤田の声を聞いた瞬間、体の奥が波打った。それは怒りでも悲しみでもなく――
どこか、熱に似たもの。
「奈央さんは、たぶん、身体のほうが先に信じてしまうんだね」
「どういう意味?」
「頭じゃなくて、肌が“答え”を知ってるってこと」
立ち止まって、彼がこちらを振り返る。
街灯の光の下で、奈央の影が彼の足元に落ちた。
「たとえば、こういうのもそう」
澤田の指先が、奈央の頬に触れる。冷たかった。けれど、拒むことはできなかった。
ゆっくりと、彼の手が奈央の首筋をなぞった。
皮膚の一枚下を、熱がゆっくりと這っていく。
「……稽古、のつづき?」
奈央の声は震えていた。
「わからない。君がそれを“稽古”って思うなら、そうだし」
そう言いながら、彼の顔が近づく。
瞼を閉じれば、それは“演技”という名の口実で、罪の重みを軽くできる気がした。
けれど、唇が触れ合った瞬間、奈央は知った。
これは稽古なんかじゃない。
彼の舌が優しく触れてきたとき、
奈央の奥に眠っていた「なにか」が、ゆっくりと目覚めてゆくのがわかった。
肌が、呼吸が、記憶してゆく。
唇のかたち、指の温度、そして――
愛情とは違う、もっと曖昧で、もっと深い欲望のかたち。
唇を離したあと、ふたりはしばらく何も言わなかった。
奈央は目をそらさず、ただひとつだけ聞いた。
「ねえ、私、どうなっていくのかな」
澤田はそれに答えず、夜の静けさの中、
遠くで鳴く猫の声に耳を澄ませていた。

