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恋かるた
第1章 時めぐりきて -長月-

「えーっと… その日曜日の沢田様は新規ね… 水回り一式がご希望よ」
(下宮町の沢田様…)
志織はふと心に引っかかった。
(沢田課長… 下宮じゃなかったかしら…)
もう15年も前に退社した前の住宅会社の上司をふと思い出したのである。
(沢田… 珍しい苗字じゃないし、奥様いらっしゃるしね)
志織はそのまま深くは気に留めずにクリアフォルダに挟まれた予定表をバッグに入れると井川の前を離れた。
定時の夕方5時に営業所を出た志織は自家用のジムニーのエンジンキーを回した。
別れた夫が持って行った車と同じ車種にすることには抵抗があったし、扱いやすい大きさのほうがいいという安全面の点から選んだ程度の良い中古車だった。
「おかえり~」
途中で買い物を済ませて家に帰った志織を明るい声の瑞穂が迎えてくれた。
ひとり娘の瑞穂は来年の高校受験を控えていたが、母親の苦労を知ってか気を尖らせることもなく、志織の心の強い支えだった。
「夕飯作っといたからね」
「ほんと? ありがとう。 勉強してればいいのに」
「大丈夫! 食べたら籠るから」
結婚して3年目に生まれた瑞穂が10歳になった年、別の女の元へ走った夫は5年前に離婚の道を選んだのである。
志織より前に付き合っていた女と復縁したらしいことを、あとになって人づてに聞いて彼女は初めて知った。
分与される財産などほとんどなく、養育費も滞りがちだった志織は新しい勤め先を懸命に探し、今の仕事を得たのだったが当然生活は苦しかった。
(この娘には決して自分のような悲しみや苦労をさせてはならない)
瑞穂の笑顔を見ながら志織は強くそう願う毎日だった。
「レシピ調べてるヒマがあったら勉強しなさいよ」
茶化すような口調で志織は、強くは言わないようにしている。
「おかあさんの帰り待ってたらお腹空いておやつ食べちゃうから、待ってらんないもん」
笑いながら応じてくれる瑞穂に志織は涙が出そうになる。
「じゃあ、この惣菜、あしたにする?」
「いいよ、冷凍しといてもいいんじゃん?」
およそ受験生には見えない陽気さでテレビを観ている瑞穂を横目に、買ってきた惣菜を冷蔵庫に収めながら、
(明日は早く帰れるから、ちゃんと用意できるわ)
と微笑む志織だった。

