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あの店に彼がいるそうです
第8章 一体なんの冗談だ
「キャッスルへご来館有難うございます」

 まずい。
 雛谷は書類を机に投げながら首を掻く。
 先月から名義屋の影響が深刻化している。
 ツートップの紫苑と恵介は揺るがないが、客足は減る一方だ。
「あぁ~。頭痛あい」
 ウェーブした髪を梳きながらため息を吐く。
 眼を瞑り、椅子に深く沈んだ。
「瑞希欲しいなぁ」
 あの一件からことあるごとに浮かぶ顔。
 診療所で出会った時よりも、秋倉との事件の時は成長していた。
 類沢と共に生活をしていれば知らずに影響されるんだろう。
 それだけじゃないか。
 天井を眺める。
 あの子はまだ歌舞伎町を知らない。
 新人は甘い蜜の香りがする。
 どの色にも染まる脆弱さを漂わせて。
「……穢してみたい」
 咲く前の蕾を手で包み込み、陽光なんて当てさせない。
 自分の為に咲かせてみたい。
 止まっていた視点をずらし、雛谷は自嘲気味に笑った。
 それには、まずシエラに勝たなきゃね。
 横取りは好きだけど、類沢相手に真っ向から勝負しないのは気が向かない。
 胸ポケットから茶色く褪せた札を取り出し、光に照らす。
 二十二号。
 昔の名前。
 あの秋倉の元にいた時の醜い過去の残骸。
 二十三号が類沢だった。
 全部失って流れてきたくせに、いつも澄ましてただ周りを眺めていた蒼い瞳を思い出す。
 指で札を折り曲げる。
 革製だから、すぐに形が戻る。
 なんでまだ捨てずに持っているんだろう。
 厭な記憶を未だに握り締めて。
 これを持っていたら、自分と同じ場所にいた類沢を感じるからだろうか。
「くだらなーい」
 ポケットに仕舞うと同時にノックがした。
 扉から現れた紫苑に手を振り、その後ろの人物に目を丸くする。
「働きたいんだとよ」
「久しぶりだねぇ」
 気だるそうに進み出た細身の男。
 長いストレートの黒髪が美しく揺れる。
「忍って言います。あれから考えて、雛谷さんの御誘いに乗ることにしました」
 へえ。
 随分敬語が似合わない。
 一見弱弱しい中性的な外見だが、雛谷はその芯の強さを読み取って微笑んだ。
「またスカウトしてたのか」
「ちょっとねぇ。フラれたかと思ったけど」
 類沢に邪魔されたし。
「よく来てくれました。えーと、そうだなあ……ノブリン」
 切れ長の一重の目がゆっくり持ち上がる。
「……は?」
 うん、好い反応。
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