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あの店に彼がいるそうです
第10章 最悪の褒め言葉です
 ハンドルの脇に付いたレバーを倒して運転席と助手席を繋ぐ溝を滑らせる。
 ガシャンと重厚な音ともに固定された革の輪を鵜亥が掴む。
 可動式ハンドル。
 右ハンドルにも左ハンドルにも応対しているオーダーメイドのオプションだ。
 エンジンや重量分散に特殊加工が必要で、何千万かかったか汐野だけが明細を見て知り一人眩暈を堪えたものだ。
 それもあってか滅多に運転はさせてもらえない。
 万が一の為に鵜亥が席を外す時だけ汐野の助手席側にハンドルを預けるのだ。
「そう思うか?」
 不敵に笑む上司の顔をミラーに仰ぐ。
 指紋認証でキーがかかり、車体が揺れる。
 この振動もあの額あってのもんやな。
 汐野は腕を組んでシートにもたれた。
「思うからゆうてんやけど、鵜亥はんのことやから考えがあるんやろね」
「類沢雅に篠田春哉」
 車を発進させながら意味ありげに人名を囁く。
 通り過ぎざまに、類沢の車の中で目を見開いて携帯を握りしめる瑞希を一瞥した。
「あの二人は可哀想なほど面倒に生きてるんでね。たぶん治療費は出せないの一点張りで、すぐに連絡がくるだろう」
「せやね」
「鵜亥さん」
 後部座席の男がそこで口をはさんだ。
「なに?」
「さっきの場所の住宅に愛がいたようですが。拾っていかなくて良かったんですか」
 靴に仕込んでいるGPSで常に位置が手の内に晒されている愛。
 鵜亥は興味なさそうに窓の外を見た。
「今回の件にあいつは絡めていない。ただシエラの動向調査の為に入れただけだからな。何をされても吐くものがないんだから助ける道理もないだろう」
「あそこで瑞希はんは誰と待ち合わせてたんやろね」
「先に出て行ったのが類沢だろうな」
「あの長身が。歌舞伎町№1には見えへんかったけど」
「人は見かけによらないって言いますしね」
「戒のことを言っているなら今すぐ飛び降りてもらうぞ」
「まさか」
 鵜亥の声は決して冗談ではないと告げていた。
 まだ、消えない傷があるのだろう。
 戒と、巧。
 今はどこにおるんやろうね。

 スピードを上げて国道に出る。
 汐野が手帳サイズの黒いスケジュール帳をぱらぱらと捲る。
「会合は二十分後やで」
「お前も相席するのか」
「いつも通り」
 二人は一瞬目くばせをする。
 出会った時から変わらない温度で。
「そうか」
 鵜亥は息子に対する父のそれのように答えた。
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