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あの店に彼がいるそうです
第10章 最悪の褒め言葉です
 アドレス帳のタ行で親指が止まる。
 拓。
 今の話を伝えるべきか。
 いや……
 隣のサ行に指を移す。
 先に忍に確認するか。
 本当かって。
 決断ができない指が宙をさ迷う。
 逆の立場だったら?
 俺は本当のことを話すか?
 声にならないうめき声をあげて体を二つに折り、頭を掻きむしる。
 わかんねえよ。
 いきなりすぎんだよ。
 苛立ちすら感じる。
 何をすれば良いんだ。
 そこからわからない。
 ネットに接続して病状は調べ尽くした。
 すぐにでも手を打たないとなのに。
 どうすりゃ……
「ああっくそ!」
 ダン、と。
 拳を殴り付けた場所が悪かった。
 体が揺れる。
 車体が振動し、メーターが次々と光を帯びて浮き上がる。
「えっ……ええっ?」
 エンジンがかかったんだ。
 なんで。
 まだ冷静じゃない頭で必死に原因を探る。
 けれど見たことないボタンの列に手を翳したまま固まってしまう。
 もし壊したら……
 もし発進したら……
 サアッと血の気が下がる。
「や……っばいヤバイ!」
 急いで運転席側に移るが、急かすように排気音が腹に響いてくる。
 心臓がバクバク鳴ってる。
 俺ってなんでこんな馬鹿なんだ。
 ナニかが沸点を超えて悲観的になる。
「なんでいつもいつも俺ばっかり……っ」
 ピピッ。
 解錠音にバッと身を起こす。
 涙目で窓を見ると、サブキーをこちらに向けた類沢が首を傾げて近づいてきた。
「るっ、いさわさん!」
 俺の方に回ってきた類沢がドアを開ける。
 すぐにその胸にすがり付いた。
「エ、エンジンがかかっちゃって。早く止めてくださいっ、ごめんなさい!」
「とりあえず落ち着きなよ。大丈夫だから」
 類沢は俺を抱いたまま身を屈めて運転席の脇にあるボタンを押す。
 車は主人に見つかった仔犬のように大人しく静かになった。
 ほっと息を吐く。
「よ……かった。壊したりなんかしたら、俺……俺……」
 鼻から息が洩れる音に顔を上げる。
「ふふ、ごめんね。あまりに可笑しくて、ははははっ」
「なに笑ってんですかっ。俺、本気で……焦って。ちょっと!」
 類沢は目を片手で覆って笑った。
「あははは……はぁ、本当にさ、瑞希って素晴らしいよね。くくく……こっちはどんな話し合いをしてたと」
「話し合い?」
「なんでもないよ」
 ぽんと頭を撫でられる。
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