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あの店に彼がいるそうです
第10章 最悪の褒め言葉です
 メニューを閉じてボーッと頬杖をつく。
 木の薫りが香りそうな店内を目だけで眺め回して。
「類沢さんでもこういうとこ来るんですね」
 客は数人。
 サラリーマンが多い。
 湯気の立ち上るカウンターから離れたテーブル席。
 類沢は煙草をくわえて頷いた。
「№に入ってなかった初期の頃よく一人で食べに来たよ。お金なかったし。けど今じゃ他のは食べれないくらい美味しいって知ってね」
 氷が入ったお冷やに口をつける。
「どうして?」
「えっ」
「僕らしくない?」
「まあ……だっていつでもミシュラン食べてるイメージですから。ワインに合うもの以外受け付けないみたいな」
「日本人だよ、一応」
「知ってますけど」
 店員が二つの器を器用に持ってきた。
 れんげを添えて。
「いただきます」
「召し上がれ」
 箸を割りながら応えた類沢の口調に癒される。
 垂れた横髪を耳にかける仕草に、なぜか河南を思い出した。
 どこも似てないのに。
「美味しいです……」
「瑞希は醤油派なんだ」
「類沢さんって麺啜らないんですね」
「え? ああ。あんま好きじゃないんだよね。音立てるのって。麺類は基本啜らないね」
「日本人ですよね」
「日本人だよ?」

 家に帰ってから眼鏡を掛けて事務仕事を始めた類沢の邪魔をしないように、寝室で帰りに買った本を開く。
 今年賞を獲ったミステリー。
 昼の暖かい日差しに集中力を奪われながら文字を追うが、全然頭に入ってこない。
 ブー……
 きた。
 瞬時に枕元の携帯を手に取る。
 拓からだ。
「もしもしっ?」
「瑞希っ、今すぐアパート来てくれないか! 忍が倒れたんだ!」
 あ。
 口が渇く。
 唇が震える。
「わか……った。すぐいく」
「オレどうしたらいいかわかんなくてっ!頼んだっ」
 携帯を握りしめたまま玄関に向かう。
 鵜亥の言葉がグルグル五月蝿い。
「どこ行くの?」
「拓のアパートです。急用で」
「送ろうか?」
 足が止まる。
 電車で二十分弱。
 車でもそんなに変わらない。
 けど……
 どうしよ。
 忍が本当に病気だったら?
 頼れる人がそばにいるべきじゃないか。
 コートを羽織った類沢を振り返る。
「お願いします」
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