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あの店に彼がいるそうです
第10章 最悪の褒め言葉です
「んー。わかった。りょうかーい」
 固定電話を顎に挟んで仕事をしながら応対する雛谷の事務室に紫苑が入ってくる。
 背面の壁がすべてガラス窓で出来ている彼の部屋は、ただ入るという行為だけで緊張するほどの気品を持っている。
 今日は風が強い。
 窓の向こうで木々が大きく撓る。
 折れそうなほど。
 紫苑は見慣れた景色を一瞥して、机にもたれて電話が終わるのを待つ。
「お大事にね。うちの医者貸さなくていいって? ああ、悠なら安心だね。わかった。近いうちにお見舞い行くよ。ああ、うん……はいはーい。じゃね」
 ガチャンと音を立てて受話器を置く。
 紫苑は横目で雛谷を窺う。
「うあーん……もう、嘘でしょ~」
「どうした」
「ノブリンが入院だってさ」
 岸本忍のことか。
 紫苑は脳内で名前を変換する。
「相当ヤバい病気もちみたいだよ~。うー……昨日まではそんなそぶりなかったのにね。困ったなあ。結構客ついてたよね」
「そこはカバーできるが。大丈夫なのか?」
 一際強い風にキシキシと建物が揺れた。
 雛谷は両手を組んで顎を乗せると、真顔で呟いた。
「……死ぬかもね」
 小さな声の波紋が部屋を揺るがすようだった。
 悪寒が走り、紫苑は固唾を飲み下した。
「お前らしくない軽口だな」
「冗談は好きじゃないよ~? 風水だって気にしてる繊細ちゃんなんだから」
「何が繊細だ……堺の奴らの情報を飄々とシエラに流しといて」
「ばれてた?」
 舌を見せて明るく。
 どっちが本当のお前なんだか。
 紫苑は呆れて頬を緩める。
「俺はそのためにいろいろ手を回したんじゃないぞ。この店に影響がないように手配するっていうから」
「だーかーらーだーよー? 駄々捏ねないの、紫苑くん」
 遮るように間延びした声でそう告げると、雛谷は立ち上がり、紫苑が持ってきた書類を奪い取る。
 それに目を通しながら不敵に口角を持ち上げた。
「篠田も類沢も黙って見ている人種じゃない。あちらさんがシエラの動向に気を取られているうちにこっちは好きに動こうって感じ」
「また一人で……」
「やだなあ。紫苑には包み隠さず話してるつもりだよ~?」
 コンコン。
 ノックの音に二人が素早く口をつぐんだ。
「なんだ?」
 紫苑が代返する。
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