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鈴(REI)~その先にあるものは~
第1章 序章~萌黄の風~
お香代も兎を見ながら、駕籠の中の苺を頬張った。
「お前は随分と食いしん坊なのね。それとも、慌てん坊さんなのかしら」
 愛らしい子ウサギの仕草を眺めていると、自然に笑みが零れてくる。
「もっとも、私もお前のことばかりは言えないわ。折角一杯になった駕籠がもう、こんなに少なくなってしまったものねえ」
 お香代は笑いながら、苺が半分近くになってしまった駕籠と子ウサギを交互に眺めた。
 動物の子どもでさえ、これほど愛らしいのだ。人間の子どもであれば、さぞ可愛いことだろう。
 お香代の美しい面から、微笑みが消えた。
―私には、どうして赤ちゃんが授からないのかしら。
 良人の小五郎と所帯を持ったのは、もうかれこれ三年前になる。小五郎が通っていた町の道場の近くで、たまたま趨(はし)り雨に遭って難儀していた小五郎に傘を貸したのが二人の縁(えにし)の始まりであった。
 お香代は道場主の柳井(やない)幹(みき)之(の)進(しん)に仕える下男壱助の孫娘であったが、壱助が五年前、齢六十六で亡くなった後は、幹之進の養女となった。もう十数年前に妻女を亡くし、実子のなかった幹之進はお香代の利発さを見込み、いずれは道場一の遣い手であり師範代をも務める相田(あいだ)小五郎(こごろう)影(かげ)綱(つな)と娶せる所存であった。
 偶然にもこの二人が恋仲となったことから、話はとんとん拍子に進んだ。それまでにも時折見かける小五郎の凛々しい姿に、お香代は憧れを抱いていたし、小五郎の方もまた白い襷掛け姿で庭掃きに精を出すお香代に惹かれていた。
 もっとも、咲き匂う竜胆の花のような風情のお香代は、幹之進の大勢の門弟たちの憧れの的でもあったのだ。そして、道場一、いや、この木檜(こぐれ)藩一の遣い手とも呼び声の高い小五郎に、幹之進がいずれ跡目を譲りたいと思案しているのは明白であり、幹之進が養女とこの優秀な弟子を娶せると言い出したときも、誰もがあっさりと納得したものだった。
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