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作品集
第19章 平成28年11月1日
ご存じですか…?
■脱脂粉乳とは、いったい何物だったのか?
この脱脂粉乳は、1946(昭和21)年から1970(昭和45)年頃にかけて定番メニューとして、日々の給食に登場し「まずい給食」の代名詞として、子供達を悩ましていました。
脱脂粉乳とは、
その名の通り、牛乳から
乳脂肪分を抜き取った残りカスです。
バターやチーズを作る為には、クリーム分を牛乳から抜き取る必要があり、
その残りカスを乾燥させたものが脱脂粉乳だったのです。欧米では、主に家畜のエサとして利用されてきました。それが日本では
、給食として子供達が飲んでいたのです。そしてその味が、子供達を悩ませ苦しめ、給食を食べれない子供達を増やし続けました。
脱脂粉乳が給食の定番メニューとなった背景は、
一にも二にも戦後の食糧難であった為です。敗戦後、子供達、特に都市部の子供達は飢餓状態にありました。その為、1946(昭和21)年に子供達の栄養状態を改善する為
米国などからの援助で学校給食が始まりました。
この時、脱脂粉乳が大量に輸入されたのです。
給食を始める際に、GHQ(米国の占領軍)は当初
日本政府に小麦粉を提供する事を考えていました。
しかし、日本の関係者の意見を聞いたところ
「むしろ、脱脂粉乳を貰(もら)いたい」という声が返ってきたそうです。
確かに、脱脂粉乳は、牛乳の搾りカスとはいえ
たんぱく質、カルシウムをたっぷり含んだ、栄養面に限っては申し分のない食料です。
飢えている子供達を緊急に救う為には、栄養面では理想的な食べ物といえます。無論、味の問題を別にすればの事です。
それが高度成長期に入り、敗戦直後から見れば、信じられないほど豊かになった1970(昭和45)年頃まで、給食に使われ続けました。
■脱脂粉乳とは、いったい何物だったのか?
この脱脂粉乳は、1946(昭和21)年から1970(昭和45)年頃にかけて定番メニューとして、日々の給食に登場し「まずい給食」の代名詞として、子供達を悩ましていました。
脱脂粉乳とは、
その名の通り、牛乳から
乳脂肪分を抜き取った残りカスです。
バターやチーズを作る為には、クリーム分を牛乳から抜き取る必要があり、
その残りカスを乾燥させたものが脱脂粉乳だったのです。欧米では、主に家畜のエサとして利用されてきました。それが日本では
、給食として子供達が飲んでいたのです。そしてその味が、子供達を悩ませ苦しめ、給食を食べれない子供達を増やし続けました。
脱脂粉乳が給食の定番メニューとなった背景は、
一にも二にも戦後の食糧難であった為です。敗戦後、子供達、特に都市部の子供達は飢餓状態にありました。その為、1946(昭和21)年に子供達の栄養状態を改善する為
米国などからの援助で学校給食が始まりました。
この時、脱脂粉乳が大量に輸入されたのです。
給食を始める際に、GHQ(米国の占領軍)は当初
日本政府に小麦粉を提供する事を考えていました。
しかし、日本の関係者の意見を聞いたところ
「むしろ、脱脂粉乳を貰(もら)いたい」という声が返ってきたそうです。
確かに、脱脂粉乳は、牛乳の搾りカスとはいえ
たんぱく質、カルシウムをたっぷり含んだ、栄養面に限っては申し分のない食料です。
飢えている子供達を緊急に救う為には、栄養面では理想的な食べ物といえます。無論、味の問題を別にすればの事です。
それが高度成長期に入り、敗戦直後から見れば、信じられないほど豊かになった1970(昭和45)年頃まで、給食に使われ続けました。