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作品集
第3章 平成27年6月…
素晴らしいメールを紹介します…
◆14歳のときに漂流してアメリカの捕鯨船にひろわれ、アメリカに渡った最初の日本人“ジョン万次郎”さんの、アメリカ人を味方につけた魅力のお話です。
ホイットフィールド船長をはじめとするアメリカ人に「無償の善意」を発動させた万次郎の“魅力”とは
一体何だったのだろう。
ニューベッドフォード捕鯨博物館ケンダル研究所のスチュアート・フランク博士(歴史学)は語る。
「ジョン・マンは、チャレンジ精神に富み、この町の人々に愛されただけではなく、慕われ尊敬されてさえいた。彼が私たちの仲間として迎え入れられたのは、彼の勤勉さと、努力を惜しまない姿勢の故ではないだろうか」
勤勉と努力……それはかつて日本人の美徳といわれた素養だ。つまり万次郎は、極めて日本人らしい日本人だったのである。だとすれば、「受けた恩は返す」という当然の美徳も万次郎は持っていた筈だ。善意で自分を育んでくれた人たちにどうすれば自分は恩返しが出来るのだろう……
万次郎は常々模索していたに違いない。勤勉と努力、そして受けた恩は返す。
これは、日本人だけじゃなく世界共通で大切なことですね。ジョン万次郎さんは、14歳から24歳までお世話になったホイットフィールド船長への別れの手紙にこう書いたそうです。
「あなたは、私を、子供から大人になるまで育てて下さいました。私はそのご恩、ご親切を決して忘れることは出来ません。それなのに、私はこれまで何のご恩返しもすることができませんでした。そして今私は、故国へ帰ろうとしております。ご挨拶もせずに帰国するなど決して許されることではありません。しかし、人間としての善意を失わずにおれば、やがて世の中が変わり、再びあなた様にお目にかかれる日が必ず来ると信じております。私がお宅に残してきた金銀、衣服などは何か有益な事にお使い下さい。本と文房具は、私の友人たちに分け与えて下さいますよう。
ジョン・マン」
受けた恩は、返しても返したりないと思い続けるこの姿勢こそが、信用や魅力に繋がっていくのでしょうね。
◆14歳のときに漂流してアメリカの捕鯨船にひろわれ、アメリカに渡った最初の日本人“ジョン万次郎”さんの、アメリカ人を味方につけた魅力のお話です。
ホイットフィールド船長をはじめとするアメリカ人に「無償の善意」を発動させた万次郎の“魅力”とは
一体何だったのだろう。
ニューベッドフォード捕鯨博物館ケンダル研究所のスチュアート・フランク博士(歴史学)は語る。
「ジョン・マンは、チャレンジ精神に富み、この町の人々に愛されただけではなく、慕われ尊敬されてさえいた。彼が私たちの仲間として迎え入れられたのは、彼の勤勉さと、努力を惜しまない姿勢の故ではないだろうか」
勤勉と努力……それはかつて日本人の美徳といわれた素養だ。つまり万次郎は、極めて日本人らしい日本人だったのである。だとすれば、「受けた恩は返す」という当然の美徳も万次郎は持っていた筈だ。善意で自分を育んでくれた人たちにどうすれば自分は恩返しが出来るのだろう……
万次郎は常々模索していたに違いない。勤勉と努力、そして受けた恩は返す。
これは、日本人だけじゃなく世界共通で大切なことですね。ジョン万次郎さんは、14歳から24歳までお世話になったホイットフィールド船長への別れの手紙にこう書いたそうです。
「あなたは、私を、子供から大人になるまで育てて下さいました。私はそのご恩、ご親切を決して忘れることは出来ません。それなのに、私はこれまで何のご恩返しもすることができませんでした。そして今私は、故国へ帰ろうとしております。ご挨拶もせずに帰国するなど決して許されることではありません。しかし、人間としての善意を失わずにおれば、やがて世の中が変わり、再びあなた様にお目にかかれる日が必ず来ると信じております。私がお宅に残してきた金銀、衣服などは何か有益な事にお使い下さい。本と文房具は、私の友人たちに分け与えて下さいますよう。
ジョン・マン」
受けた恩は、返しても返したりないと思い続けるこの姿勢こそが、信用や魅力に繋がっていくのでしょうね。