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作品集
第5章 平成27年8月度…
■信念の経営 稲盛和夫氏
両親を説得して医学部を受験するが・・・
稲森が中学に入学した年は1945年。そう、終戦の年である。
大空襲で稲森家も含めて多くの家屋が消失し、とても学業どころではなかったが、稲森は疎開先から通学し続け、勉強にも熱心に取り組んだ。
もうあんな屈辱はまっぴらだと思ったのだろう。
特に苦手だった数学を徹底的にやり直して、得意科目にしてしまった。
上級生とケンカをしたり、相変わらずな面もあったが、もう勉強をおろそかにすることはなかった。
中学卒業後は「働いて欲しい」という家族を説得して、鹿児島高等学校第三部へ進学。
進路を考える時期になると、稲森は自身が肺の症状で苦しんだことから、医学部で薬学を学びたいと考えた。だが、またもや両親から大反対を受けてしまう。
高校に行かせただけでも、両親からすれば妥協だった。ましてや大学を許すはずもなかった。
稲森も一時期は大学をあきらめて地元の銀行へ就職を考え始めたが、稲森の兄、そして高校の先生が両親に頼み込んでくれた。
兄は自分自身が大学に進学していないのに、弟のために両親へこう言った。
「和夫だけは大学に行かせてやってくれ」
また恩師も両親を訪ねて、こう説得した。
「稲森くんはほかの生徒にない何かを持っています」稲森が京セラ経営者として、常に人への感謝を忘れないのは、このような人生の節目で助けられた経験があるからである。
自分ひとりではここまでは来られなかった。
稲森はいくつもの障害にぶつかり周囲の人に助けられるたびに、そんな思いを強くしたのだった。
2人の説得のおかげで、
稲森はアルバイトや奨学金などを活用して、一切、家には金銭的に頼らないことを条件に、大阪大学医学部を受験することが許された。もう中学受験に失敗したときの自分とは違う。
目標のために積み重ねてきた勉強の成果を発揮するときだ。そんな思いを抱いて本番に臨んだが、無常にも結果は不合格。
とことん受験には縁のない人生である。
浪人などできるわけもなく、なんとか地元の県立鹿児島大学の工学部応用化学学科に進学。
少しでも薬に関われるように、自分で行ける範囲で仕方なく選んだ道だった。
両親を説得して医学部を受験するが・・・
稲森が中学に入学した年は1945年。そう、終戦の年である。
大空襲で稲森家も含めて多くの家屋が消失し、とても学業どころではなかったが、稲森は疎開先から通学し続け、勉強にも熱心に取り組んだ。
もうあんな屈辱はまっぴらだと思ったのだろう。
特に苦手だった数学を徹底的にやり直して、得意科目にしてしまった。
上級生とケンカをしたり、相変わらずな面もあったが、もう勉強をおろそかにすることはなかった。
中学卒業後は「働いて欲しい」という家族を説得して、鹿児島高等学校第三部へ進学。
進路を考える時期になると、稲森は自身が肺の症状で苦しんだことから、医学部で薬学を学びたいと考えた。だが、またもや両親から大反対を受けてしまう。
高校に行かせただけでも、両親からすれば妥協だった。ましてや大学を許すはずもなかった。
稲森も一時期は大学をあきらめて地元の銀行へ就職を考え始めたが、稲森の兄、そして高校の先生が両親に頼み込んでくれた。
兄は自分自身が大学に進学していないのに、弟のために両親へこう言った。
「和夫だけは大学に行かせてやってくれ」
また恩師も両親を訪ねて、こう説得した。
「稲森くんはほかの生徒にない何かを持っています」稲森が京セラ経営者として、常に人への感謝を忘れないのは、このような人生の節目で助けられた経験があるからである。
自分ひとりではここまでは来られなかった。
稲森はいくつもの障害にぶつかり周囲の人に助けられるたびに、そんな思いを強くしたのだった。
2人の説得のおかげで、
稲森はアルバイトや奨学金などを活用して、一切、家には金銭的に頼らないことを条件に、大阪大学医学部を受験することが許された。もう中学受験に失敗したときの自分とは違う。
目標のために積み重ねてきた勉強の成果を発揮するときだ。そんな思いを抱いて本番に臨んだが、無常にも結果は不合格。
とことん受験には縁のない人生である。
浪人などできるわけもなく、なんとか地元の県立鹿児島大学の工学部応用化学学科に進学。
少しでも薬に関われるように、自分で行ける範囲で仕方なく選んだ道だった。