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作品集
第8章 平成27年12月度

新たに学ぼう!
■読めますか?
【堕落】
みじめにおちぶれるという意味。
【驕慢】
おごり高ぶる。「驕」はおごる、「慢」はあなどるという意味。
◇中川一政
明治26年、東京本郷に生まれた。
父は加賀松任出身の巡査。一政9歳の時に母が亡くなる。弟妹は郷里に預けられ、女学校に通う姉が母代わりになった。
片道3里半の道を姉は
毎日歩いて女学校に通い、帰れば家事に明け暮れた
その姉が亡くなった。時に明治38年5月1日午前2時20分。この死亡時刻と姉が最後に発した「ああ、どうしよう」のひと言は、最晩年まで中川氏の胸から離れなかった。氏がはじめて絵を描いたのは21歳の時。
ある人から油絵具一式をもらったのがきっかけだった。そこから氏の求道(ぐどう)人生が始まる。
氏は「私はその頃、正岡子規の文章を読んだ。井戸の掻掘(かいぼり)をする。濁った水をくみ出しくみ出し、もう出なくなったと思う頃にはじめてきれいな水がわいてくるというのである」子規の言葉はそのまま中川氏の血肉となった。
「志」は「士」と「心」ではなく、「之」と「心」でできた文字、というのが中川氏の持論だった。
「心」が「之」(行く)の意で、心が方向を持つことだという。その持論通り、氏の創作活動は絵画のみならず、書、陶芸、文章にも独自の境地をひらいた。
中川氏95歳の誕生日のスピーチがある。「長生きしようと努力したわけではないが、気がついたら95になっていた…」
稽古をしてはならぬ。
いつも真剣勝負をしなければならぬ…最後まで生気湧出の人生であった。
◆読めますか?の答え
[だらく]
[きょうまん]
◆風邪薬のパッケージが、ほとんどオレンジ色なのは?
冷夏の年はプールがガラガラでした。
しかし、プールの底を青色からオレンジ色に変えたら、人がドッと押し寄せました。
青には冷たいイメージがありますが
オレンジには温かいイメージがあります。
冷夏だと、人はプールにも温かいイメージを求めたのです。
同じ事は、風邪薬のパッケージにもいえるのでしょう。
風邪薬は、パッケージがオレンジのものがよく売れます。オレンジのパッケージは、風邪をひいて悪寒がする時、人は温かいイメージのものを求める事が計算に入れられています。
暖色系の中でも、オレンジが最も温かく感じる色だといいます。
■読めますか?
【堕落】
みじめにおちぶれるという意味。
【驕慢】
おごり高ぶる。「驕」はおごる、「慢」はあなどるという意味。
◇中川一政
明治26年、東京本郷に生まれた。
父は加賀松任出身の巡査。一政9歳の時に母が亡くなる。弟妹は郷里に預けられ、女学校に通う姉が母代わりになった。
片道3里半の道を姉は
毎日歩いて女学校に通い、帰れば家事に明け暮れた
その姉が亡くなった。時に明治38年5月1日午前2時20分。この死亡時刻と姉が最後に発した「ああ、どうしよう」のひと言は、最晩年まで中川氏の胸から離れなかった。氏がはじめて絵を描いたのは21歳の時。
ある人から油絵具一式をもらったのがきっかけだった。そこから氏の求道(ぐどう)人生が始まる。
氏は「私はその頃、正岡子規の文章を読んだ。井戸の掻掘(かいぼり)をする。濁った水をくみ出しくみ出し、もう出なくなったと思う頃にはじめてきれいな水がわいてくるというのである」子規の言葉はそのまま中川氏の血肉となった。
「志」は「士」と「心」ではなく、「之」と「心」でできた文字、というのが中川氏の持論だった。
「心」が「之」(行く)の意で、心が方向を持つことだという。その持論通り、氏の創作活動は絵画のみならず、書、陶芸、文章にも独自の境地をひらいた。
中川氏95歳の誕生日のスピーチがある。「長生きしようと努力したわけではないが、気がついたら95になっていた…」
稽古をしてはならぬ。
いつも真剣勝負をしなければならぬ…最後まで生気湧出の人生であった。
◆読めますか?の答え
[だらく]
[きょうまん]
◆風邪薬のパッケージが、ほとんどオレンジ色なのは?
冷夏の年はプールがガラガラでした。
しかし、プールの底を青色からオレンジ色に変えたら、人がドッと押し寄せました。
青には冷たいイメージがありますが
オレンジには温かいイメージがあります。
冷夏だと、人はプールにも温かいイメージを求めたのです。
同じ事は、風邪薬のパッケージにもいえるのでしょう。
風邪薬は、パッケージがオレンジのものがよく売れます。オレンジのパッケージは、風邪をひいて悪寒がする時、人は温かいイメージのものを求める事が計算に入れられています。
暖色系の中でも、オレンジが最も温かく感じる色だといいます。

