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作品集
第9章 平成28年の元旦の幕開けですねー
共に考えましょう!
◆だれしもこころのなかでは「幸せになりたい」と思っています。
「不幸になりたい」と思って生きているひとは、この世の中にはいません。
でも、三度三度のご飯が食べられて、健康で働くことができる、そんな小さな幸せにも感謝して、
「わたしは幸せだな」と思うことができるひともいれば、大きな幸せにつつまれていても感謝できず、
「わたしはなんでこんなに不幸なんだろう」と愚痴ばかりのひともいます。
はたから見れば、ほんとうに幸せいっぱいで、不自由ない生活ができてうらやましい、と思われているひとでも、胸のうちは
「もっともっと」というこころがあふれていて、どうしても満たされず、こころの安穏(あんのん)が得られなかったりする。
三度三度、ご飯と味噌汁とお漬物をいただいて、家には屋根があって、布団があって、お風呂がある。
それだけで感謝のきもちでいっぱいになりたいものです。精いっぱい、そして素直に謙虚に生きていれば、たとえいまわからなくても、いつかわかるときがくるでしょう。
「ああ、こうだったんだ!」と、自然にうなずける日が来るのです。
オギャーと生まれて、あの世に行くまで、人生はことごとく行(ぎょう)なのです。ならばこそ、
きょう一日、いや、いまをすぎゆく一瞬一瞬でさえ、じぶんのきもちが悪い方向にとらわれないように、こころの針が一ミリでもプラスのほうにむいているように、みずからを律しつづけなければなりません。
もしなにかにとらわれているじぶんを見つけたら、すぐに反省をし、しきりなおしをして、「またやりなおしてみよう」といって新しいスタートを切りましょう。じぶんがいま呼吸していること、いのちがあることにまず感謝し、みずからのいたらぬ点や、胸のうちにくすぶる悪い感情を、日々反省しなければなりません。「損か得か」で行動を決める世間の処世術は、けっして上手といえない生きかたです。
損得を考えず、どんなひとにでも敬意を払い、おたがいを尊重して生きていくことができれば、みんなとても心地よい世界になることでしょう。
みんなが胸のなかにお天道さまのようなこころをもって、明るく楽しく生活できる環境が理想的です。
それはけっして大げさなことではありません。
◆だれしもこころのなかでは「幸せになりたい」と思っています。
「不幸になりたい」と思って生きているひとは、この世の中にはいません。
でも、三度三度のご飯が食べられて、健康で働くことができる、そんな小さな幸せにも感謝して、
「わたしは幸せだな」と思うことができるひともいれば、大きな幸せにつつまれていても感謝できず、
「わたしはなんでこんなに不幸なんだろう」と愚痴ばかりのひともいます。
はたから見れば、ほんとうに幸せいっぱいで、不自由ない生活ができてうらやましい、と思われているひとでも、胸のうちは
「もっともっと」というこころがあふれていて、どうしても満たされず、こころの安穏(あんのん)が得られなかったりする。
三度三度、ご飯と味噌汁とお漬物をいただいて、家には屋根があって、布団があって、お風呂がある。
それだけで感謝のきもちでいっぱいになりたいものです。精いっぱい、そして素直に謙虚に生きていれば、たとえいまわからなくても、いつかわかるときがくるでしょう。
「ああ、こうだったんだ!」と、自然にうなずける日が来るのです。
オギャーと生まれて、あの世に行くまで、人生はことごとく行(ぎょう)なのです。ならばこそ、
きょう一日、いや、いまをすぎゆく一瞬一瞬でさえ、じぶんのきもちが悪い方向にとらわれないように、こころの針が一ミリでもプラスのほうにむいているように、みずからを律しつづけなければなりません。
もしなにかにとらわれているじぶんを見つけたら、すぐに反省をし、しきりなおしをして、「またやりなおしてみよう」といって新しいスタートを切りましょう。じぶんがいま呼吸していること、いのちがあることにまず感謝し、みずからのいたらぬ点や、胸のうちにくすぶる悪い感情を、日々反省しなければなりません。「損か得か」で行動を決める世間の処世術は、けっして上手といえない生きかたです。
損得を考えず、どんなひとにでも敬意を払い、おたがいを尊重して生きていくことができれば、みんなとても心地よい世界になることでしょう。
みんなが胸のなかにお天道さまのようなこころをもって、明るく楽しく生活できる環境が理想的です。
それはけっして大げさなことではありません。