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記憶にない初恋、その追憶
第1章 起
後ろ姿のその人が弾いていたのは『ラ・カンパネラ』。
主が入り口で立ち尽くしているのにも気づかず、私の部屋の私のピアノは、見違えるように美しい曲を奏でていた。
遠縁の親戚だと言う有名なピアニストの彼が、日本にいる間だけの約束で開かれたピアノ教室。
そのたったひとりの生徒は、才能の壁も知らず、夢はピアニストだと口に出せたほどの幼い私。
たぶん強引に、辟易するほど娘に甘い父が頼み込んだのだと思う。
度々出かけてはいたが、彼はぴったりと二週間、我が家に滞在していた。
気楽なホテル暮らしよりもここを選んだのは、残された時間を、自由にピアノに触れていたかったからなのかもしれない。
美しい曲が突然、終わるはずのない音符で止まった。
彼の背後に立つ死神が、気まぐれに大鎌を彼の首にかけ、私のほうに振り向かせたように見えた。