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シリウスの小説執筆方法論
第8章 小説を構成するもの
小説は「いつ、どこで、誰が、なにをして、どうなった」かの、一連の動きを書いたものだ、と。
つまり“変化”を書くのが“小説”なのです。
私はそれを信じました。
似たような文章で書かれたものに“エッセイ”があります。
でもエッセイは違います。
エッセイの文章中で表現されたものが、何一つ変化しなくてもエッセイは成り立ちます。
作者が知覚したものを、作者がどう思ったかを書くのがエッセイですから。
『今朝、ベランダで花がしおれてるのを見つけた。私は、そこではたと気づいたのです。』
あとは作者の思想が続いて、終わります。
思想の表現手段、それがエッセイです。
エッセイと小説の違いはそこにあるのです。
だから“変化”を読ませることこそが小説です。
小説は“変化”もしくは“動き”を中心に書いていかなければならない。
私は“動き”の観点から、小説の書き方を分析してみようと思い立ちました。
小説は、すべて“動き”に関係します。
その“動き”の面白さを読者に味わってもらうのです。
小説を表現する形式として『描写』『説明』『台詞』があると言いました。
それらは道具と言ってもいいでしょう。
でも、道具の意味を知ることは必要ですが、小説を書く上ではあまりその“区別”は必要ないと私は考えます。
つまり“変化”を書くのが“小説”なのです。
私はそれを信じました。
似たような文章で書かれたものに“エッセイ”があります。
でもエッセイは違います。
エッセイの文章中で表現されたものが、何一つ変化しなくてもエッセイは成り立ちます。
作者が知覚したものを、作者がどう思ったかを書くのがエッセイですから。
『今朝、ベランダで花がしおれてるのを見つけた。私は、そこではたと気づいたのです。』
あとは作者の思想が続いて、終わります。
思想の表現手段、それがエッセイです。
エッセイと小説の違いはそこにあるのです。
だから“変化”を読ませることこそが小説です。
小説は“変化”もしくは“動き”を中心に書いていかなければならない。
私は“動き”の観点から、小説の書き方を分析してみようと思い立ちました。
小説は、すべて“動き”に関係します。
その“動き”の面白さを読者に味わってもらうのです。
小説を表現する形式として『描写』『説明』『台詞』があると言いました。
それらは道具と言ってもいいでしょう。
でも、道具の意味を知ることは必要ですが、小説を書く上ではあまりその“区別”は必要ないと私は考えます。