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シリウスの小説執筆方法論
第9章 書き続けるためには
最近、若い人に、自分のモチベーションで動けない人が多いように見受けられます。
これはSNSの影響かもしれません。
みんなに“お伺い”をたててからでないと、物事を決められない。
自分が今どの程度求められているか知ってからでないと、行動に移せない。
もしくは求められないと、その行動ができない。
「これから私のどんな小説が読みたいですか?」
そんなことを読者に訊く人がいます。
それは多分、注文を受けて書くような、プロ根性から言っていることではないでしょう。
その目的は、そう訊ねて、応えてくれる人がいるかどうか、確かめているだけだと思います。
もし、一人でもいたら、うれしい! と感じる。
そして、じゃあ、書きましょう、と思う。
もし、いなかったら?
書かないだけです。
私は求められてないのだから、書く必要はない。
そこには、本人の自らの書きたい動機は存在しない。
最初、何かを書きたいと思って自ら筆を取っていたものが、いつしか小説は、“自我の欲求”を満たす為の手段となってしまったのです。
その“自我の欲求”とは、自分が集団の中で価値ある存在だと認められ、尊敬されることを求める“認知欲求”のことです。
これはSNSの影響かもしれません。
みんなに“お伺い”をたててからでないと、物事を決められない。
自分が今どの程度求められているか知ってからでないと、行動に移せない。
もしくは求められないと、その行動ができない。
「これから私のどんな小説が読みたいですか?」
そんなことを読者に訊く人がいます。
それは多分、注文を受けて書くような、プロ根性から言っていることではないでしょう。
その目的は、そう訊ねて、応えてくれる人がいるかどうか、確かめているだけだと思います。
もし、一人でもいたら、うれしい! と感じる。
そして、じゃあ、書きましょう、と思う。
もし、いなかったら?
書かないだけです。
私は求められてないのだから、書く必要はない。
そこには、本人の自らの書きたい動機は存在しない。
最初、何かを書きたいと思って自ら筆を取っていたものが、いつしか小説は、“自我の欲求”を満たす為の手段となってしまったのです。
その“自我の欲求”とは、自分が集団の中で価値ある存在だと認められ、尊敬されることを求める“認知欲求”のことです。