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陽炎 ー第二夜ー
第3章 願わくば花の下にて
あの日。

市九郎が今際の際に残した言葉は、
サチに子を産ませてやれなかったことへの謝罪だった。

八尋は、あずかり知らぬところであったが、鷺は持ち前の勘の良さで気付いていたらしい。

兵衛もその話を聞いていたらしく、己だけが蚊帳の外にいる気分だった。

鷺は、

「市サンに聞いたわけじゃないから、確認なんだけど。猫ちゃん、子を降ろしたのは何時の話?俺の推測では、去年の春なんだけど。」

サチは、コクリと頷き、

「去年の春…」

と呟いた。

「鷺は、何故知ってるの…」

疎外感に苛まれながら、聞いた。

「たまたま、ね。去年の春、市サンが悩んでるところ見ちまってさ。真逆そんな話と思わずに、からかい半分で探りを入れたんだ。
市サン、柄にもなく、この仕事に就いたこと悔いてる風だった。その後、急にヤマの張り方が大胆になって。
その時は気付かなかったよ。結果論だけど、もしかしたら、足洗おうとしてたんじゃないかな、ってつい最近思ったんだ。
その原因って何だろうって考えたら、一番しっくりくるのが、猫ちゃんとの事だった。
想像だけど、子が出来て、立場上認められなくて、諦めさせたことへの後悔だったんじゃないかな、って。
猫ちゃんに子を産ませられるように、足洗おうと一年かけて準備してたんじゃないかって、ね。
猫ちゃん、市サン、なんか言ってなかった?」

サチはふるふるとかぶりを振ったが、
ふと、思い出したように。

「一昨日の夜…もうじきだって、言った…何が?って、聞いたら、終わったら教えてやる、ってそれだけ。
結局、答えは聞けなかったけど。」

「それは、もうじき足洗う準備が整う、って意味だったとしたら、辻褄が合うよね。

これはね、昔、市サンが俺に言った言葉なんだけど。
生きるってのは、自分の欲を満たすことから始まるんだって。その内に、守りたいものができることがある。自分の、全部をかけてもいいって思える相手に出会えたら、最高の人生だって。
きっと、市サンにとっては、猫ちゃんがその相手だったんだ。猫ちゃんの為に、足洗って、あんたと所帯持ちたかったんだと思うよ。」

鷺の言葉に、サチは泣き崩れた。

八尋にとっては、晴天の霹靂であった。



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