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海棠花【ヘダンファ】~遠い約束~
第1章 燐火~宿命の夜~
燐火~宿命の夜~
誰かがはるか彼方から呼んでいる。
「―さま(ツシー)、お嬢さま(エギツシ)」
梨花(イファ)の意識が次第に覚醒してゆく。あたかも深い深い水底(みなそこ)からぽっかりと浮かび上がってくるかのような感覚が幼い彼女を支配する。
「お嬢さま、お嬢さま!」
俄に緊迫感を増した呼び声に、梨花はハッと眼を開く。
何事かと慌てて上半身を褥の上に起こすと、間近に見慣れた乳母の顔が迫っていた。
「乳母(ユモ)、どうかしたの?」
梨花は所在なげに周囲を見回した。梨花が寝過ごすのは残念ながら、あまり珍しくはない。夜、乳母が少し眼を離した隙に、布団に潜り込んで書物を読むのが梨花の日課だ。
むろん、就寝前、林(イム)家の大切な娘の傍から乳母が離れることはない。しかし、梨花の乳
母承(スン)天(チヨン)は梨花の傍らで縫いものや繕い物をしながら、よく居眠りをした。お嬢さまの乳
母という立場があるとはいえ、スンチョンの身分はやはり、林家に仕える奴婢(ぬひ)に過ぎない
。
ましてや、スンチョンは奥向きの女中たちを束ねる女中頭の重責も担っているのだから、梨花の世話以外の仕事も少なくはないのだ。乳母が夜、梨花と二人きりになると決まって居眠りするのは、昼間の仕事の疲れからと判っているから、梨花はけして乳母を起こさなかった。
誰かがはるか彼方から呼んでいる。
「―さま(ツシー)、お嬢さま(エギツシ)」
梨花(イファ)の意識が次第に覚醒してゆく。あたかも深い深い水底(みなそこ)からぽっかりと浮かび上がってくるかのような感覚が幼い彼女を支配する。
「お嬢さま、お嬢さま!」
俄に緊迫感を増した呼び声に、梨花はハッと眼を開く。
何事かと慌てて上半身を褥の上に起こすと、間近に見慣れた乳母の顔が迫っていた。
「乳母(ユモ)、どうかしたの?」
梨花は所在なげに周囲を見回した。梨花が寝過ごすのは残念ながら、あまり珍しくはない。夜、乳母が少し眼を離した隙に、布団に潜り込んで書物を読むのが梨花の日課だ。
むろん、就寝前、林(イム)家の大切な娘の傍から乳母が離れることはない。しかし、梨花の乳
母承(スン)天(チヨン)は梨花の傍らで縫いものや繕い物をしながら、よく居眠りをした。お嬢さまの乳
母という立場があるとはいえ、スンチョンの身分はやはり、林家に仕える奴婢(ぬひ)に過ぎない
。
ましてや、スンチョンは奥向きの女中たちを束ねる女中頭の重責も担っているのだから、梨花の世話以外の仕事も少なくはないのだ。乳母が夜、梨花と二人きりになると決まって居眠りするのは、昼間の仕事の疲れからと判っているから、梨花はけして乳母を起こさなかった。