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口琴
第10章 二人きりの夜
どのくらい走ったのだろう。

さっきまでの豪雨が嘘のように去り、雲の切れ間に青空が覗く。

少し背を丸めて、自転車を漕ぐ聖の後ろ姿が、光のプリズムに反射して眩しかった。

キキーッ!

閑静な住宅街の一廓、派手なブレーキ音を立てて自転車が停まる。

「…ここは…?」

「俺んち」

スパニッシュ瓦と漆喰の手塗りの壁が、青空に映える南仏風の小さな家。

玄関先の庭には、ライラックの木が植えられていて、まるで外国にいるかのようだった。

「素敵なおうちね?これ、ライラックでしょ?」

「ああ、よく知ってるな?」

「ママが好きなお花よ。うちのお庭にもあるの。ママは昔、あのライラックの木をよく眺めてたけど、最近は…」

「この木、俺が生まれる前からある。春になると、いい香りの花が咲くんだ…。ほら、そんなこといいから、入れよ」

「…いいの?…」

「遠慮すんな。ほら、俺の肩につかまれ」

聖は、怪我をした蕾を支えながら、家に入った。

「ちょっと待ってろ、今、タオル持って来るから」

「…お、おじゃま…します…。誰もいないの?」

「ああ、親父も母さんも、昨日から地方公演で留守にしてる。帰って来んのいつだっけ…?ほら、タオル。今、風呂にお湯溜めてるから」

「え?いいよ、そんなの…」

「そのままじゃ風邪ひくぞ」

「でも…」

「着替えなら、俺の小さい時のがあるから…」

「…ありがとう…」

「その足、消毒しないとな。救急箱どこだっけ?……あった、あった」

「………」

川石で切ってしまった右足首の、小さな傷を見つめた。

「ほら、足…」

「う、うん…」

無防備に膝を立てて、床に座る蕾。

ワンピースの裾の奥に、白くて柔らかそうな内腿や、白いショーツが覗き、聖の心臓は不整脈を打つ。

聖は真っ赤になり、目のやり場を探しながら、慣れない手付きで手当てをした。

「ありがとう…」

「き、気にすんな。ほら、風呂、入ってこいよ。こっちだ…」

「聖君は?」

「俺は後から入るから…」

「なら、一緒に入ろ?」

「ッ!!な、何言ってんだ?バッカじゃね?」

「どうして?」

誰かと一緒に風呂に入る事に抵抗のない蕾の、無邪気で大胆な言葉は衝撃的で、聖は激しく動揺した。

「どうしてでもっ!ほら、早く!」

浴室に蕾を押し込んだ聖は、全身が心臓になったかのようだった。
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