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東 めぐみ(結菜)さんの作者ニュース
忘れられない作品。
引き続きになります。
今から8年前の5月20日、私は突然、顔の右半分が動かなくなる大病に
かかりました。
病名は顔面神経麻痺、末梢神経のウイルス感染が原因でした。
当時、私は妊娠八ヶ月、末の娘を妊娠中でした。
麻痺は発症時、中程度から重度と診断されました。
妊婦であるため、大きな病院の方が良いと毎日
点滴に往復二時間かけて通いました。
それでも、一ヶ月経過時には顔の筋肉の動きを診断するテストは
20点満点の12点、発症時が6点か8点でしたので、あまり回復は
良くなかったみたいです。
医師からも、完治する患者さんは大体、この時点で完治します。
でも、まだ完全に望みがなくなったわけではないので、気を落とさずに
治療を続けましょう、と言われました。
そして、今度は前回の帝王切開の傷跡が胎盤に付着していることが判明、
出産も生命の危険性を伴うことが判りました。
その頃、泣いてばかりいたと思います。
そして、予定日より一ヶ月早い早産で、子どもが生まれました。
何とか無事に手術は終わりました。
その三ヶ月後、ある日、突然、顔の筋肉が動くようになりました。
医師からは、これは奇跡ですの言葉とともに完治が告げられました。
今だから言いますが、実はもう完治は難しいと思っていたとも言われました。
前置きが長くなりましたが、華のしずくは、そういう長い闘病生活を経て
久々に私が筆を取った作品です。
なので、今回、この作品を皆様にご覧いただけたことは本当に嬉しく
ありがたいことだと思っています。
長々と私ごとで失礼しました。
今から8年前の5月20日、私は突然、顔の右半分が動かなくなる大病に
かかりました。
病名は顔面神経麻痺、末梢神経のウイルス感染が原因でした。
当時、私は妊娠八ヶ月、末の娘を妊娠中でした。
麻痺は発症時、中程度から重度と診断されました。
妊婦であるため、大きな病院の方が良いと毎日
点滴に往復二時間かけて通いました。
それでも、一ヶ月経過時には顔の筋肉の動きを診断するテストは
20点満点の12点、発症時が6点か8点でしたので、あまり回復は
良くなかったみたいです。
医師からも、完治する患者さんは大体、この時点で完治します。
でも、まだ完全に望みがなくなったわけではないので、気を落とさずに
治療を続けましょう、と言われました。
そして、今度は前回の帝王切開の傷跡が胎盤に付着していることが判明、
出産も生命の危険性を伴うことが判りました。
その頃、泣いてばかりいたと思います。
そして、予定日より一ヶ月早い早産で、子どもが生まれました。
何とか無事に手術は終わりました。
その三ヶ月後、ある日、突然、顔の筋肉が動くようになりました。
医師からは、これは奇跡ですの言葉とともに完治が告げられました。
今だから言いますが、実はもう完治は難しいと思っていたとも言われました。
前置きが長くなりましたが、華のしずくは、そういう長い闘病生活を経て
久々に私が筆を取った作品です。
なので、今回、この作品を皆様にご覧いただけたことは本当に嬉しく
ありがたいことだと思っています。
長々と私ごとで失礼しました。
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