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【マスクド彼女・序】
第2章 前日【楽園からの誘い】
しかし、その後の数分間のやり取りの末――。
「ああ、もう。そんな話するなら、もう頼まないよ」
正直はそう言い放つと、通話を切ってしまう。結果的に、この交渉は決裂に終わった。
臨時の仕送りをする対価として、母親が求めたのは夏休み中の労働。すなわち家業の手伝いをせよ、というものだった。
正直の実家は祖父母の代より、高原野菜の生産農家を生業としている。高原特有の気候を生かし生産される白菜やキャベツ等は、特に近年に於いて地域のブランドとして全国的にも名高い。
様々な難しい事情を抱える現代の日本の農家の中にあって、かなり恵まれた方であることは間違いなく。不詳の息子を大学に行かせるくらいの甲斐性は、十分に持ち合わせていた。
しかしながら、当の正直は農家の家に生まれたことを、あまり有難くは感じていない。否、何も農家云々というつもりはなく。懸命に働き大学まで進ませてくれた両親に対して、感謝の気持ちがないという程に人でなしという訳でもなかった。
只――街から遠く離れた長閑な山間にある実家。其処から広がりゆく農地と、聳える周囲を取り囲む山々。
そんな見飽きた風景の中に、埋もれてしまうのがそこはかとなく嫌だと思っていた。
『どうせアンタのとこだから、就活なんてロクにしちゃいないんだろう。どうだい? 父さんの後を継ぐことを考えてみる、良い機会じゃないか。都会の暮らしだって、もう十分に満喫したようだしねえ――』
母親のその言葉は、田舎に居た時分を想い呼び起こすものとなり。正直はそれ以上、話を続けることから逃げてしまったのだった。